読谷村: 歴史
西海岸の砂丘上には沖縄貝塚時代(本土の弥生時代相当期)の遺跡が多くあり、渡具知木綿原遺跡からは九州の影響を受けたとされる箱式石棺墓が見つかっている。そのことからこの遺跡は、1978年(昭和53年)11月15日に、国の史跡に指定されている。
また、比謝川の河口付近にある渡具知東原遺跡からは爪形文土器が見つかり、沖縄の先史時代文化が約7000年前まで遡ることが分かった。
1908年4月1日 - 町村制施行により、旧区画における読谷山間切全域を読谷山村(ゆんたんざそん)と定める。
1943年4月 - 村の中央部に帝国陸軍沖縄北飛行場建設開始。
1945年4月1日 - 米軍が北飛行場を目指し上陸、その日のうちに占拠する。翌2日、チビチリガマの「集団自決」が発生。読谷村全域が占領地となる。上陸前から疎開先も含め住民の戦火による犠牲者が出ていたが、その後も、疎開先あるいはそこからの帰途に戦火に巻き込まれる形で犠牲者が多数出る。
1946年8月 - 米軍基地が95%の土地を占有し、約5%の土地にあたる波平、高志保の一部地域に帰村許可。11月20日 - 第一次移動の約5千人が帰村、12月16日、読谷村に改称。米軍基地はその後も拡大・整備され、2006年まで村中央部を軍事施設が占めることになる。
1997年4月1日 - 現在の読谷村役場が完成。返還前の読谷補助飛行場に建設されたため、日米地位協定第二条第4項(a)の「日米による共同使用」という形を取った。
2014年1月1日 - 岩手県岩手郡滝沢村が市制施行。これにより、読谷村が日本国内で人口最大の村となった。