Heimatgeschichte · Katsuragi ·

葛城市: 歴史

葛城市: 歴史

古代の大和国忍海郡及び葛下郡当麻郷の地である。長尾神社、葛城御県神社など数多くの延喜式内社が現存する。
室町時代後期には、布施氏が布施城や屋敷山の新庄城を本拠として、おおむね市域中部・南部一帯を影響下に置いた。布施氏の影響圏は「布施郷」と呼ばれたが、戦国期に布施氏の嫡流は絶えた(布施左京進参照)。
関ヶ原の戦い後、桑山一晴が布施郷に入封して1万6000石を領し、屋敷山に陣屋を整備するとともに、陣屋町として新庄町を建設した。1682年に桑山家が改易されると、新庄町は幕府領となり、高野街道の宿場町へと役割を転じていった(大和新庄藩)。なお、1680年に葛上・葛下・忍海3郡内で1万石の知行を与えられた永井氏も居所を新庄と公称したが、永井家は定府であり、当地に大名の居館があったわけではない。永井家は幕末期に、現在の御所市櫛羅に陣屋を移して櫛羅藩となった。

2004年(平成16年)10月1日 - 新庄町・當麻町が合併して発足。
2005年(平成17年)2月19日 - 市章を制定。
2006年(平成18年)2月26日 - 葛城市歌「緑の風」を制定。

=== 市名の由来 ===
市名は新庄町と當麻町が属していた北葛城郡に由来している。その北葛城郡は古墳時代にこの地を領有していた葛城氏に由来している。郡名を由来とするため広域地名とされている。
ところが、新庄町との合併前の忍海村は南葛城郡に属しており、葛城と呼称される地名の中心に位置するともいえる。また実現こそしなかったが、2町だけではなく周辺2市2町とも合併して葛城市とする構想があった。
尚、葛城山の山頂は南隣の御所市にある。

住民による新市名の募集
白鳳市
葛城市(下の部分が人)
葛城市(下の部分がヒ)
かつらぎ市
新市名称候補選定小委員会
アンケート結果から7点に絞られた。
2003年6月8日に実施した法的拘束力のないアンケート(投票率60.14%)
葛城市
白鳳市
かつらぎ市
アンケートで1位となった葛城市が新市名称候補選定小委員会でも適当とされ決定した。ちなみにアンケートでは合併の是非についても問われ、反対が賛成を上回ったが、詳細と見ると、旧新庄町では賛成が多数を占めている。この結果から計画していた2004年3月の合併は困難と判断された。

葛城市は、「葛」の字を略字である「葛(下の部分がヒ)」を採用しており、正字(下の部分がL+人)を採用している葛飾区や北葛城郡とは字体が異なる。2000年に答申された表外漢字字体表で、「葛」の字体は「下の部分がL+人が標準」とされている。
この字体決定は合併協議会の新市名称候補選定小委員会において『住民の利便性や今後のパソコン・ワープロなどの機械化の発展を考慮し、「葛(下の部分がヒ)」を使用することが適当』と言われたためである。最終的に決定が確認された2003年4月2日において既に正字に変更されるJIS X 0213:2004の公開レビューが実施されており、文字コードについて疎かったと言える。
Windows Vistaでは、それまでのJIS X 0208:1990(90JIS)に代わって、新規格であるJIS X 0213:2004が採用され、正字の方が標準字体となった。略字を正式市名とした「葛」城市については、古いJIS規格を採用したフォントに切り替えるか、OpenTypeフォントの字体切り替え機能に対応したアプリケーションを利用すれば、従来通りの略字を表示することは可能である。
ただ、Windows XP以前で正式名称である「葛(下の部分がヒ)」と作成しても、Windows Vista での標準字体となってしまうなど、現状では整合性がとれないなどの問題がある。
なお、葛城市当局は、字体の違いを理由に行政手続を拒絶しないことを表明している(葛飾区も、以前から同様の取り扱いを実施) 。

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Quelle: Text: Wikipedia – „葛城市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Hamachidori, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons