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函南町: 歴史

函南町: 歴史

=== 古代 ===
先史時代の遺跡は、桑原・上沢など箱根山西南麓の緩斜地帯にある。縄文・弥生時代の遺跡は各所にみられ、平井にあるNTT東日本伊豆病院敷地内から、弥生時代末期から奈良時代にかけての住居跡も発見されている。
古墳としては、静岡県最大規模の柏谷横穴群があり、7世紀前半から8世紀初頭のものが多いため、律令時代に活躍した占部氏(伊豆出身)との関連が指摘されている。

1180年(治承4年)石橋山の戦いで敗れた北条宗時は、土肥山から伊豆国の平井(現在の函南町平井)を経て、早河の辺りで平氏方の伊東祐親軍に包囲され、平井の小武士小平井久重に討取られた。大竹の神戸坂にある二基の五輪塔は、討取られた北条宗時と狩野工藤介茂光の墓と言われている。
1202年(建仁2年)6月に、宗時の父北条時政は、夢のお告げがあったとして菩提を弔うために桑原に来ている。
現在の函南町域の土豪仁田氏は、古くから函南の歴史に関わってきた。特に、仁田四郎忠常は、1193年(建久4年)富士の巻狩りでの猪退治、建久4年(1193年)の曾我兄弟の仇討ちの際に、兄の曾我祐成を討取った事や富士の人穴探検などの逸話で知られている。函南町仁田には仁田忠常の墓があり、町の史跡となっている。また、仁田忠常、仁田次郎忠俊は、1180年(治承4年)源頼朝の挙兵の時、山木館攻めに従っており、両名は三島夏祭りの「頼朝公旗挙げ行列」の行列にも参加している。
上記の仁田氏以外に、土豪として主に肥田郷に肥田宗直、畠郷に新田信綱がいた。特に、肥田宗直は、伊豆直家の係累といい、鎌倉将軍源頼家の側近の中の側近でもあった。新田信綱も、先祖の新田秀綱の兄小野寺通綱が平家討伐に功をあげて源頼朝から畠郷を与えられ、新田秀綱の子通房が畠郷に住み、その子の重房が新田太郎と称し、その子重綱の四男が新田信綱にあたる。
その他の函南町域の郷村の多くは、鎌倉時代から室町時代初期まで、走湯山の神領であった。丹那郷もその一つであったが、1336年(建武3年)以降、伊豆国の守護と目代を兼帯した祐禅が、三嶋大社の造営役を丹那郷に賦課し、田畠山野を押領して狩猟をほしいままにする事件が起きている。

鎌倉公方四代を経て、小田原北条氏の時代になると、函南町域の支配関係が変化した。仁田と肥田は馬廻衆の松田助六郎、畑郷は小田原衆の西原善右衛門、間宮は伊豆衆の秩父次郎左衛門、平井郷は玉縄衆の北条綱成、桑原は御家門方の北条幻庵、丹那と塚本は川越衆の大道寺弥三郎の所領となっており、肥田には松田助六郎の他に、伊豆衆の笠原美作守の所領になっていた。
北条氏直の家臣に山口淡路秀房がおり、1590年(元亀18年)の相模小田原城の落城により丹那村の川口教影の養子となり、川口秀房と称して、丹那・畑・田代村の名主となる。なお、秀房は後に、当村域の凶作により領主への年貢減免を直訴し、要求が認められたものの、死罪となった。
1590年(元亀18年)に、大土肥、軽井沢、田代、間宮、塚本、肥田の各村が三島代官の支配となる。

当町域は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いまでは、韮山城主内藤信成の領地となっていたが、駿河府中への転封となったのち、大部分が旗本領となり、肥田村が相模小田原藩・相模萩野山中藩領となる。
当町域は、1756年(宝暦6年)に水野忠友が沼津に転封した事で、駿河沼津藩が成立して編入、一部が幕府領に編入される。
1707年(宝永4年)に、最初の八ケ橋(蛇ヶ橋)が完成。
1868年(慶応4年)6月29日:韮山県が設置され、同県所属となる。

1871年(明治4年)11月14日:県の統合により足柄県所属となる。
1876年(明治9年)4月18日:県の統合により静岡県所属となる。
1881年(明治14年):仁田常種、川口秋平らによって丹那産馬会社を設立、畑の大洞山に牧場を設ける。
1884年(明治17年):奈古谷村から畑毛村が分離。
1889年(明治22年)4月1日:町村制の施行により、田方郡仁田村、畑毛村、肥田村、塚本村、柏谷村、畑村、軽井沢村、桑原村、田代村、大竹村、丹那村、上沢村、平井村、大土肥村、間宮村、駿東郡日守村および君沢郡山中新田の一部(馬坂地区)が合併して、田方郡函南村が発足。分村問題、村会議員の総辞職など紛糾を重ねた末の設置であった。
1896年(明治29年)
仁田大八郎が仁田信用組合を設立。
駿豆電気が平井に水力発電所を建設、函南村に電灯がついた。なお、丹那トンネルの工事により、水量が減ったため大正末期に閉鎖。
1910年(明治43年):肥田地区から新田が分離し、新田区(地区)となる。
1922年(大正11年):駿豆鉄道伊豆仁田駅が開業。

1926年(昭和元年):仁田大八郎が、丹那牛乳を東京に売り込む為の伊豆畜産販売購買利用組合を設立。
1934年(昭和9年)12月1日:丹那トンネル開通。函南駅を設置。
1934年(昭和9年)6月:水騒擾事件が発生。田植えの水不足のほか、丹那トンネル工事による渇水に対する補償金の問題が加わり、平坦部の住民が大竹・上沢地区を襲撃。石和寅之助村長が心労で辞職。それ以降村長不在という異常事態に静岡県が強制介入。1936年(昭和11年)4月13日に和解した。
1952年(昭和27年)4月4日:十国峠北側で第4回全国植樹祭が開催。昭和天皇、香淳皇后の行幸啓があり、ヒノキの植樹が行われた。
1953年(昭和28年):丹那中学校が開校。
1962年(昭和37年)10月1日:伊豆スカイラインが、熱海峠から巣雲山まで供用開始。

1963年(昭和38年)4月1日:町制施行して、函南町となる。なお、町制施行以前は、「かんなん」や「かんなみ」と読み方がまちまちであったが、町制施行時に「かんなみ」で統一される。
1969年(昭和44年)6月18日:町章を制定。
1971年(昭和46年)
4月1日:丹那中学校を函南中学校に統合。旧丹那中学校は丹那教場となった後、翌1972年(昭和47年)3月22日廃校。
12月1日:函南町役場庁舎竣工(2005年(平成17年)7月に閉鎖)。
1973年(昭和48年)4月1日
熱函道路が供用開始(有料)。
町の木、町の花を制定。
1976年(昭和51年)
2月20日:柏谷横穴群が国指定史跡になる。
4月1日:東小学校が開校。
1979年(昭和54年)4月1日:西小学校が開校。
1982年(昭和57年)4月1日:東中学校が開校。
1983年(昭和58年)4月1日:函南町民憲章を制定。
1985年(昭和60年)
3月30日:伊豆中央道が供用開始。
10月20日:アメリカ合衆国カリフォルニア州カーマン市と姉妹都市提携。
1986年(昭和61年):函南町中央公民館(函南町文化センター)が供用開始。

1992年(平成4年):阿弥陀三尊像が国指定重要文化財になる。
1993年(平成5年):柏谷公園が供用開始。
1994年(平成6年):仁田さくら公園が供用開始。
1995年(平成7年):大嵐山の日守山公園が供用開始。
1996年(平成8年):丹那断層公園が供用開始。
1997年(平成9年)
肥田に西部コミュニティセンターが竣工。
エフエムみしま・かんなみが開局。
三島市と共同運用するみしま聖苑が竣工。
酪農王国オラッチェが開園。
熱函道路が無料開放される。
1999年(平成11年):伊豆新世紀創造祭が行われる。
2002年(平成14年):町営温泉施設の湯~トピアかんなみが開館。
2003年(平成15年)
4月1日:函南町制施行40周年を迎える。
畑毛せせらぎ公園が供用開始。
2005年(平成17年)7月1日:函南町役場庁舎が竣工。
2012年(平成24年):桑原にかんなみ仏の里美術館が開館。
2013年(平成25年)
4月1日:函南町制施行50周年を迎える。
町営図書館と子育支援施設を併せたかんなみ知恵の和館が開館。
2014年(平成26年)
東駿河湾環状道路(伊豆縦貫自動車道)が開通。
かんなみスポーツ公園が供用開始。
2017年(平成29年)5月1日:伊豆ゲートウェイ函南が開業する。
2018年(平成30年)
函南町を含む伊豆半島ジオパークがUNESCOの世界ジオパークに認定される。
全国5番目のめんたいパーク伊豆が開業する。
2019年(平成31年)4月30日:川の駅伊豆ゲートウェイ函南が開業する。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „函南町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Batholith, Public domain – Wikimedia Commons