瀬戸内市: 文化・歴史
=== 刀剣 ===
長船町の長船地区や福岡地区などは、古くから刀鍛冶が多く、刀剣が盛んに生産されており、備前長船と呼ばれ全国的に著名である。
中国山地で採集される砂鉄「赤目(あこめ)」が日本刀を造るのに適していたことと、砂鉄から玉鋼(たまはがね)を作るためのタタラに必要な強い火力を生むクヌギ系の木が自生していたことなどから、この地で日本刀が多く生産されることとなった。
また、南北に流れる吉井川と、東西には山陽道があり、交通の便に恵まれていたこともあり、長船の刀が多く流通することとなった。
吉井川と山陽道の接点地である備前福岡は、歴史教科書にも紹介される国宝「一遍聖絵」の中で「福岡の市」が立つ場として描かれている。鎌倉時代に定期市として始まった中世「福岡の市」は常設市へと発展し、室町時代の備前福岡は山陽道で最大級の商都として栄えた。
2006年3月、現代版「備前福岡の市」 が誕生し、毎月第4日曜に開催されている。2014年6月には「100回記念フォーラム」を開催、「備前福岡の市」が歴史的・文化的・風土的資産の掘り起こしに一定の役割を担っていることを再確認した。
牛窓は江戸時代の外交使節である朝鮮通信使の寄港地であった。宿泊した本蓮寺には正使らが書いた漢詩の書軸が残り、この中の岡山県指定重要文化財(歴史資料)9幅が、2018年10月31日に 世界記憶遺産 (世界の記憶)として登録された「朝鮮通信使に関する記録」に含まれた。
2004年(平成16年)11月1日付で、邑久郡邑久町、牛窓町、長船町の3町が合併して市制施行した。
市内の大字の読みは全て「あ行」で始まる(2009年7月現在)。合併時に、邑久町、牛窓町、長船町という「あ行」で始まる旧自治体名をそれぞれの管内の大字全てに冠したためである。
邑久郡合併協議会 が選定した市名の最終候補は「瀬戸内」の他かに「東岡山(ひがしおかやま)」「東備(とうび)」「夢路(ゆめじ)」「あけぼの」があったが、「瀬戸内海の恩恵を受け、風光明媚で温暖な、穏やかな地域をイメージできる」ことを理由とし、現市名が選定された。
1952年(昭和27年)4月1日 - 邑久郡邑久村、福田村、今城村、本庄村、豊原村、笠加村が合併し、邑久町となる。
1953年(昭和28年)2月 - 西大寺市の発足に伴い、邑久町から長沼地区の一部が分離される。
1954年(昭和29年)
1月1日 - 玉津村を邑久町に編入。
10月1日 - 牛窓町、鹿忍町、長浜村が合併し、牛窓町となる。
1955年(昭和30年)
3月31日 - 大宮村の一部を境界変更により牛窓町に編入。
3月31日 - 美和村、国府村、行幸村が合併し、長船町となる。
1958年(昭和33年)4月1日 - 裳掛村を邑久町に編入。
1962年(昭和37年)9月1日 - 赤穂線が全線開通。
1976年(昭和51年)9月 - 台風17号により豪雨災害発生、災害救助法適用。牛窓町にて測定された降水量は、8日正午から13日正午までに748mm。
1974年(昭和49年)11月30日 - 岡山ブルーハイウェイ(現:岡山ブルーライン)が全線開通。
1988年(昭和63年)5月9日 - 邑久長島大橋(人間回復の橋)が開通。
1990年(平成2年)9月 - 台風第19号により豪雨災害発生、災害救助法適用。牛窓町にて測定された降水量は、17日から20日までに525mm。
2002年(平成14年)8月1日 - 邑久郡合併協議会が発足。
2004年(平成16年)
3月6日 - 邑久町、牛窓町、長船町合併協定調印式。
11月1日 - 邑久郡の邑久町、牛窓町、長船町の3町が合併し、瀬戸内市が発足。市名は公募により決定された。この合併により邑久郡は消滅した。
2005年(平成17年)9月9日 - 第60回国民体育大会「晴れの国おかやま国体」夏季大会が開催、市内がサッカー、セーリング競技会場となる。
2024年(令和6年)11月1日 - 瀬戸内市発足20周年を記念し、11月1日を「瀬戸内市民の日」と制定。同月に記念式典を催行。