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網走市: 歴史

網走市: 歴史

網走地方において人類の活動が確認できるのは約2万年前とされている。北海道が続縄文時代にあった5世紀ころ、オホーツク海沿岸ではオホーツク文化が栄えていた。それは擦文時代からアイヌ文化の成立に至る13世紀ころまで約800年続き、樺太や千島列島もオホーツク文化圏にあった。少数民族のニヴフによって樺太南部ではじまったとされ、北方民族の生活スタイルを継承して北東アジアの影響を受けている。オホーツク文化後期(9世紀から13世紀ころ)になると擦文文化の影響を受け、両方の文化が融合したトビニタイ文化が生まれ、それまでの海岸居住に留まらず、内陸部への居住も見られるようになった。なお、道北では9世紀ころにオホーツク文化が擦文文化に吸収されたとしている。最寄貝塚(モヨロ貝塚)はオホーツク文化最大の遺跡として国の「史跡」に指定されている。
ウィルタは樺太の先住民族でアイヌからは「オロッコ」と呼ばれ、ニヴフは「ギリヤーク」とも呼ばれていたが、それぞれ独自の言語を持っており、アイヌとも近い関係にあった。終戦後、日本領土であったサハリン(樺太)にいて日本国籍を持ち旧日本軍に徴用された両民族の一部の人達は日本へ強制送還された。その先の1つが網走市であった。ミス網走といえる網走市の「流氷パタラ」のパタラとは、ウィルタ語に由来しており、「お嬢さん」の意味がある。

「あばしりの年譜」「網走市統計書 平成26年版 年表」参照

1798年(寛政10年):谷口青山の「自高島至舎利沿岸二十三図」の第二十二図にアバシリ沿岸および番屋が描かれる。
1812年(文化09年):藤野喜兵衛、アバシリ川河口右岸に弁天社を創祀(祭神は弁才天、のちに町民が譲り受けて厳島神社となる)。
1857年(安政04年):網走初のストーブ(宗谷製)、毛布、コーヒー使用。
1858年(安政05年):松浦武四郎がアバシリ川を溯り『戊午日誌』(西部安婆之利日誌)を著わす。
1864年(元治元年):藤野家、アバシリ川河口右岸に稲荷社を創祀(明治28年にオショップに移築)。
1869年(明治 2年):蝦夷地を北海道と改称し北海道で国郡里制が施行される。当地には北見国および網走郡が設置される。
1869年(明治02年):トーマス・ブラキストン来網、ポンモイの柱状節理を見る。
1871年(明治04年):アイヌがすべて平民に編入され、身分上の差別撤廃。
1872年(明治05年):網走郡下にアバシリ村、エチャニ村、ニクリバケ村、ノトロ村、モヨロ村、モコト村、ナヨロ村、トウフツ村が成立。
1873年(明治06年):アバシリ村に開拓使根室支庁網走出張所を置き、紋別・常呂・網走・斜里の各郡および釧路国網尻郡を所轄、紋別郡に分局設置。
1875年(明治08年):各村名に漢字を当て、網走村、勇仁村、新栗履村、能取村、最寄村、藻琴村、娜寄村、濤沸村とする。
1876年(明治09年):アイヌに苗字を与えて待遇上の差別を取り除き、特別保護を廃止。
1877年(明治10年):開拓使根室支庁網走分署廃止。支庁直轄となる。
1880年(明治13年):網走外三郡役所開庁。紋別・常呂・網走・斜里の各郡を所轄。網尻郡は厚岸外六郡役所の所轄となる。
1881年(明治14年):釧路国網尻郡を北見国網走郡に編入。
1881年(明治14年):網走村網走川河口部右岸に市街地を区画し「北見町」と命名、宅地の払い下げ開始。
1882年(明治15年):町田孫六が川向の橋のたもとを開墾し、網走で初めて専業農家を始める(馬鈴薯、大根、麻など)。
1884年(明治17年):宮部金吾、クルマトマナイに漆樹林発見(安政6年前後に宮崎三右衛門によって会津から移植されたものと推定)。
1890年(明治23年):釧路監獄署網走囚徒外役所(網走刑務所の前身)開設。
1891年(明治24年):釧路集治監網走分監設置。後に北海道集治監網走分監となる。収容者の強制労働により北見方面への道路開通。
1897年(明治30年):北光社移民団が網走に上陸、野付牛村(現在の北見市)の北光社農場へ向かう。網走に船便で屯田兵の第1陣到着。
1897年(明治30年):郡役所を廃し網走支庁を設置。郡役所が兼掌していた北見町外八箇村の戸長事務を継承。
1900年(明治33年):網走支庁より戸長事務を分離し、北見町外八箇村戸長役場を設置。
1902年(明治35年):網走郡北見町、網走村、勇仁村、新栗履村を合併し二級町村制施行、網走郡網走町となる。同じく二級町村制を施行した能取村(能取村・最寄村)及び藻琴村(藻琴村・娜寄村・涛沸村)との1町2村による網走町外二箇村組合役場を大字北見町に設置。
1906年(明治39年):私設網走新聞雑誌従覧所開設(翌年に網走図書館と改称)。
1908年(明治41年):広島県にある厳島神社の分霊を迎えニクル(桂町)に網走神社創祀。
1910年(明治43年):クルマトマナイ の造園工事で応永の年号がある板碑発見。
1912年(大正元年):網走—野付牛間の鉄道開通し、網走駅開設。
1913年(大正02年):米村喜男衛がモヨロ貝塚を発見し網走に移住。電話交換業務開始。
1915年(大正04年):能取村、藻琴村を編入し一級町村制施行。東洋捕鯨会社が大字最寄村タンネシラリ(二ツ岩裏)に網走事業場開設、オホーツク海での捕鯨開始。
1917年(大正06年):能取岬灯台完成。
1921年(大正10年):網走町から女満別村(後の女満別町、現在の大空町)分村。
1922年(大正11年):庁立網走中学校(北海道網走南ヶ丘高等学校の前身)、庁立網走高等女学校(かつてあった北海道網走向陽高等学校の前身)開校。
1923年(大正12年):帽子岩ケーソンドック完成。
1925年(大正14年):網走支庁長渡辺勘一が「天都山」(てんとさん)命名。釧網本線の網走 - 斜里間開通。
1926年(大正15年):大字北見町(全域)、大字網走村(一部)の旧町村名を廃し、市街地に条・丁目制施行(北見町→南1~8条東・西、南9~11条東、網走村(一部)→南4~14条西)。
1931年(昭和06年):女満別村との境界変更。越歳の一部(現在の大空町女満別住吉)を女満別村へ編入。
1936年(昭和11年):湧網東線の網走 - 卯原内間開通(1987年湧網線廃止)。北見郷土館(現在の網走市立郷土博物館)開館。
1938年(昭和13年):網走町の字名・字界・地番・南北条・東西丁目を改正
1942年(昭和17年):網走水産指導所(現在の北海道立総合研究機構水産研究本部網走水産試験場)設置。
1945年(昭和20年):米軍機が網走に襲来(北海道空襲)。
1947年(昭和22年):市制施行、網走市となる。東藻琴村分村。戦後初の統一地方選挙で中川イセ(本名:いせよ)が、初の女性議員として網走市議会議員当選。
1949年(昭和24年):網走消防本部・消防署開庁式。網走漁業協同組合設立。
1954年(昭和29年):8月に昭和天皇、香淳皇后が市内を行幸。
1956年(昭和31年):オホーツク水族館開館(2002年閉館)。
1958年(昭和33年):「網走国定公園」指定。
1960年(昭和35年):網走熱帯植物園開園(1971年閉園)。
1963年(昭和38年):水没遺跡の網走湖底遺跡で日本国内初の潜水発掘調査が行われる。日本国内では20世紀最後となる皆既日食観測。北海道冷凍魚肉協会(現在の全国すり身協会)設立。
1966年(昭和41年):『オホーツク流氷まつり』初開催。モヨロ貝塚館開館。
1967年(昭和42年):網走市民会館開館。
1972年(昭和47年):網走市立美術館開館。網走市開基100年・市制施行25年記念式。
1974年(昭和49年):北海道網走養護学校開校。
1978年(昭和53年):網走港が「重要港湾」指定。
1979年(昭和54年):天都山展望台開設。
1980年(昭和55年):能取漁港開港。
1983年(昭和58年):博物館網走監獄開館。
1985年(昭和60年):オホーツク流氷館開館。
1986年(昭和61年):カナダポートアルバーニ市と姉妹都市提携。
1987年(昭和62年):国鉄湧網線が全線廃止。
1989年(平成元年):東京農業大学生物産業学部(オホーツクキャンパス)開学。
1991年(平成03年):流氷砕氷船「おーろら」就航。北海道立北方民族博物館開館。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „網走市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 221.20 (talk), Public domain – Wikimedia Commons