太子町 (兵庫県): 歴史
「日本書紀」推古天皇14年(606年)条に、聖徳太子が法華経の講義を岡本宮で行ったため、天皇から播磨国の水田100町を与えられ、斑鳩寺(法隆寺)領として納めた、とある。この地は「鵤荘(いかるがのしょう)」と呼ばれ、町域はこの地に当たる。
昭和の大合併において、石海村・太田村の両村は姫路市との合併が取りざたされたが、具体的な動きには至らなかった。石海村はほかにも龍野町を中心とするグループ、御津町を中心とするグループにも合併候補として名前が挙がっていた。1950年9月に入って斑鳩町・石海村・太田村の3町村で合併の動きが現れ、1950年年末までに枠組みがほぼ固まった。1951年2月4日の3町村における住民投票でも3町村合併賛成の票が多数を占め、3町村議会で合併案件を可決した。龍田村は周辺町村の合併の動きに取り残される形となり、村内は太子町との合併派と姫路市への合併派とで対立していたが、大勢は太子町側であったことから、村議会での協議により太子町への編入を決めた。太子町は町村合併による功労により1956年11月に自治庁長官から表彰を受けたが、兵庫県内で表彰を受けたのは太子町のみである。
1931年(昭和6年)4月1日 - 斑鳩村が町制施行、斑鳩町へ。
1951年(昭和26年)4月1日 - 斑鳩町と石海村・太田村が合併し、太子町が誕生。石海村役場を本庁舎、斑鳩町役場・太田村役場は支所とされた。
1952年(昭和27年)4月1日 - 斑鳩町の支所を本庁舎、石海村の本庁舎を支所とする(主従逆転)。
1955年(昭和30年)1月1日 - 龍田村が編入。
1955年(昭和30年)5月1日 - 鵤字早溝1369番地の1に本庁舎を移転。
1966年(昭和41年)12月20日 - 町章を制定する。
1976年(昭和51年) - 町制25周年を記念し「太子町歌」を制定。
2003年(平成15年)7月2日 - 龍野市・新宮町・揖保川町・御津町の合併協議会に加入する。
2004年(平成16年)8月2日 - 合併協議会より脱会、単独町制の道を選ぶ。
2015年(平成27年)9月 - 現在地の新本庁舎へ移転。
町名は、聖徳太子ゆかりの町であることからつけられた。