亘理町: 歴史
『日本書紀』巻七「日本武尊の遠征」に葦の浦・玉の浦を経て日高見へ至るという記述があり、この葦の浦が亘理にあたるという(玉の浦は岩沼市玉浦・仙台空港付近を、日高見は北上川流域を指す)。
養老2年(718年) - 『続日本紀』に曰理郡の名が登場。これが文献上での亘理の初見である。
天喜4年(1056年)頃 - 亘理権大夫・藤原経清が亘理郡に入部し、亘理地方を所領とする。
建久元年(1190年) - 武石胤盛(亘理氏の祖)、源頼朝に亘理郡を与えられる。
天正19年(1591年)-亘理氏涌谷へ転封。片倉景綱が、その後11年間亘理の地を治める。
慶長7年12月30日(1603年2月10日) - 伊達政宗の一門・伊達成実が亘理城主となる(亘理伊達氏)。
明治3年(1870年) - 亘理伊達氏第14代当主・伊達邦成、北海道開拓のため家臣団を率いて胆振国有珠郡(現・伊達市一帯)への移住を開始。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、小堤村の区域をもって、亘理町(わたりまち)が発足する。また、荒浜村、吉田村及び逢隈村が発足する。
1943年(昭和18年)4月29日 - 荒浜村が町制施行し、荒浜町となる。
1955年(昭和30年)2月1日 - 亘理町、荒浜町、吉田村及び逢隈村が合併し、亘理町(わたりちょう)が発足する。
2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。亘理町では震度6弱を記録し、役場庁舎が使用不可能となる。さらに大津波により町の面積の47%が浸水し、荒浜・大畑浜・吉田浜・長瀞浜など沿岸の地区が壊滅的被害を受けた。この震災による町民の死者・行方不明者は計305人(町内で発見された遺体は257体)。また5,600棟を超える住宅が全半壊し、産業被害総額は3,353億円超にのぼった。
2015年(平成27年)3月15日 - 荒浜にぎわい回廊商店街 開設。
2020年(令和2年)1月6日 - 東日本大震災で被災した旧町役場に代わる新庁舎が完成し、この日より業務開始。
2022年(令和4年)東日本大震災からの復興を願う大規模な花火大会(東北未来芸術花火)が開かれた。