滑川市: 歴史
明治以降の滑川町は面積が1.79km2と小さく、富山県内で最も人口密度が高かった。戦前の1940年にも滑川町と周辺の加積8か村(中加積村、東加積村、西加積村、北加積村、浜加積村、早月加積村、南加積村、山加積村)による合併話があったが、最終的に南加積村および山加積村が上市町区域の合併協議に加わったことや合併に積極的であった北加積村、浜加積村、早月加積村も態度を保留するなどして、立ち消えとなっていた。
1952年に市制施行を目指して1町7ケ村で「加積郷合併審議会」(のちの促進委員会)が幾度も開かれた。東加積村の全会一致の反対で一度は頓挫したものの、山加積村が離脱し上市町と合併した後は全会一致で可決、万が一合併を否決する自治体が出たとしても絶対に合併を実現するため、いったん人口要件に縛られない「町」として合併してから「市」になる形を選択した。
町名の候補には滑川のほかにも「加積」「早月」「加川」「大日」「荒磯」「七和」「新川」「郷川」「延槻」が挙げられていた(1918年米騒動などによって全国的に滑川の名称が余り良くない気持ちがあったため)。
最終的には「滑川」と「加積」が候補に残り、最終決定権を一任された成田政次富山県知事が、これまでの知名度も考慮して「滑川」を選び「滑川」採用された。
また、この当時は水橋町など1町3ケ村(水橋町、相ノ木村、上条村、三郷村)との合併構想もあり、実現すれば面積75.5km2、人口約5万人となり、富山市と高岡市に次ぐ県下第3の人口規模の市となっていた。しかし、水橋町、上条村、三郷村の合併による新『水橋町』の誕生や相ノ木村の上市町編入が決定したため、水橋地域を編入する『滑川市』構想は実現しなかった。また、1953年には滑川町を除いた6ヶ村だけで合併し、郡名からとった中新川町の町制を目指す動きもあった。
1953年11月1日 中新川郡滑川町、中加積村、東加積村、西加積村、北加積村、浜加積村及び早月加積村が合併して、中新川郡滑川町が発足する。当時は県下最大の町であった。
1954年3月1日 中新川郡滑川町が市制施行して、滑川市となる。同日「滑川市の歌」を制定。
1956年 中新川郡上市町の区域の内、大字本江、田柿、小森、東福寺、東福寺野、五位尾の区域の一部及び黒川の区域の一部の区域を編入する。なお、この編入は富山県知事から出された分離勧告および住民投票によるものである。
1959年12月1日 財政再建団体指定(1967年度まで)。
1960年 旧山加積村を除く旧村域の出張所(主に旧役場を使用)を廃止。
1965年12月12日 滑川市内の電話通話(ダイヤル)が即時化される。
1973年3月28日 市制20周年を記念して、市の木「松」、市の花「ツツジ」、市の草花「菊」をそれぞれ制定。