大田市: 歴史
大田市の大半は、旧安濃郡と旧邇摩郡である。ただし、大田市祖式町、大代町新屋・大家(新屋地区、大家本郷地区、北佐木地区の一部)はかつての邑智郡、大田市山口町山口・佐津目は昔の出雲国(旧簸川郡)にあたる。
大田市の東部にある三瓶山は、古くは「佐比売山」と呼ばれ『出雲国風土記』の国引き神話において、「火神岳」(大山)とともに島根半島を引き寄せて繋ぎ止めた杭であるという。
市域西部の大森は、戦国時代から江戸時代にかけて日本最大の銀山とされた石見銀山の地でもある。
1526年、大内氏の支援によって博多の豪商の神屋寿禎が開発に成功した。その後、大内氏やその後継である毛利氏と出雲の尼子氏の間で銀山争奪戦が繰り返された。江戸時代には幕府直轄領(天領)となり、石見銀山領が置かれた。江戸期にほぼ掘り尽し、1920年代には完全に閉山した。
2007年、「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録された。
2001年10月設置の大田市・邇摩郡合併問題合同研究会、2002年9月設置の大田市・温泉津町・仁摩町合併任意協議会を経て2003年1月に大田市・温泉津町・仁摩町合併協議会が設置され、合併特例法の期限であった2005年3月末までの合併を目指して協議を始めた。新市の名称については公募の後、協議会での投票により「石見銀山市」が最終候補となった。後は協議会で「石見銀山市」に決定するのみであったが大田市で反発があり、決定を先送りした。「大田市」を求める大田市議会と「石見銀山市」を求める温泉津町議会・仁摩町議会で対立し、1市2町の首長と議長による6者協議会に持ち込まれた。最終的に、新市の名称を「大田市」とし、石見銀山遺跡の世界遺産登録時に「石見銀山市」の是非について検討することで妥結した。新市名称をめぐる混乱により協議などが遅れ、当初の目標から遅れて2005年10月1日に合併が実現した。また市名を再検討する条件から市章は当面新たに制定せず、暫定的に旧大田市章を使うこととした。
2007年7月の石見銀山遺跡の世界遺産登録後、9月に市名問題検討特別委員会を設置し市内の団体の代表からの意見聴取などを行った。意見聴取では、変更には経費がかかることや市名が定着していることなどを理由に24人中19人が変更に否定的であった。特別委員会、市議会を経て2008年1月に市名を変更しないと決めた。なお、市章については旧大田市章を引き続き使用することを確定した。
1963年(昭和38年)4月10日 - 三瓶山が大山隠岐国立公園に編入される。
1991年(平成3年)
3月3日 - 仁摩サンドミュージアムが開館。
10月19日 - 島根県立三瓶自然館サヒメルが開館。
2007年(平成19年)7月2日 「石見銀山とその文化的景観」が世界遺産に登録される。
2018年(平成30年)4月9日 島根県西部地震により1,000軒以上の建物が被害を受けた。
1954年(昭和29年)1月1日 - 安濃郡大田町・久手町・川合村・鳥井村・長久村・波根東村・邇摩郡久利村・静間村が合併して大田市が発足した。島根県下で5番目の市制施行となった。
1954年(昭和29年)4月1日 - 安濃郡朝山村・佐比売村・簸川郡山口村および安濃郡富山村の一部(大字山中・才坂地および神原の一部)を編入。これに伴い、安濃郡は消滅。
1956年(昭和31年)9月30日 - 邇摩郡大森町・五十猛村・大屋村および邑智郡祖式村の一部(大字祖式)を編入。
1957年(昭和32年)12月31日 - 邑智郡川本町の一部(大字新屋・大家本郷)を編入。
1958年(昭和33年)11月1日 - 邑智郡川本町の一部(大字北佐木の一部)を編入。
2005年(平成17年)10月1日 - 邇摩郡温泉津町・仁摩町と合併し、改めて大田市(第2次)が発足。これに伴い、邇摩郡は消滅。