紫波町: 歴史
江戸時代には紫波郡紫波町志和として、上平沢、土館、稲藤、片寄の4村が八戸藩の飛び地となった。八戸藩の領地のほとんどがやませの被害を受けやすい地域だったため、穀倉地帯が飛び地に選ばれたとされているが、霊松院(南部直房側室)の母である耕雲院の故郷だったことも選ばれた理由と考えられている。
平安時代(神護景雲2年=西暦768年)- 称徳天皇によって「高水寺」が創建される。
平安末期〜鎌倉初期まで - 奥州藤原氏の一族・樋爪氏の本拠地となる。
鎌倉時代 - 源頼朝が高水寺に「走湯権現」を勧請する。
室町時代 - 足利氏の別家・斯波氏が現在の古舘地区に高水寺城を築き、当地を支配した。
安土桃山時代 - 南部氏が進出する。
天正16年(1588年)- 信直の攻撃によって斯波氏は滅び、高水寺城は「郡山城」と改称した。中野康実の二男正康(中野吉兵衛)が城代に任じられ、盛岡城築城の宿舘となった。
慶長(1596年 - 1615年)年間 - 郡山城下の日詰町を中心に奥州街道(厳密には松前道)の宿駅が設けられ、藩政上の諸役所が置かれた。定期市中心の商業から次第に街道筋に商店街が形成され、領内でも屈指の商店街として宿場町が栄えた。また、北上川舟運の港町としても発展を続けた。
元和8年(1622年)- 金山師の丹波弥十郎が、朴木金山を大判6,500枚もの運上金で請け負い話題となる。
寛文4年(1664年)- 八戸藩分立により土館村、稲藤村、上平沢村、片寄村の4村が飛地領として八戸領志和に代官所、盛岡藩領日詰に蔵宿を設置。
寛文7年(1667年)- 郡山城が廃城となる。
寛文8年(1668年)- 北上川舟運を取り締まるため郡山古城の下の北上川端に番所を設置。
元禄年間(1688年 - 1704年)- 日詰町に近江や美濃商人が居住してくると、次第に貨幣経済に巻き込まれるようになる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行される。
日詰新田、桜町村の一部[字上川原・下川原]が合併し、紫波郡日詰町が成立。
中島村・陣ヶ岡村・二日町新田、高水寺村の一部[字三枚橋を除く]が合併し、紫波郡古館村が成立。
上松本村・下松本村・小屋敷村・吉水村・南伝法寺村・宮手村・升沢村が合併し、紫波郡水分村が成立。
土館村・片寄村・上平沢村・稲藤村が合併し、紫波郡志和村が成立。
北日詰村・南日詰村・犬淵村・平沢村、桜町村の一部[字上川原・下川原を除く]が合併し、紫波郡赤石村が成立。
星山村・大巻村・彦部村、犬吠森村の一部[字沼端・沼口・間木沢・境]が合併し、紫波郡彦部村が成立。
紫波郡佐比内村が成立。
赤沢村・船久保村・紫野村・遠山村・北田村・山屋村が合併し、紫波郡赤沢村が成立。
東長岡村・西長岡村・江柄村・北沢村・栃内村・草刈村、犬吠森村の一部[字後田・小路口・岩ノ沢・沼田・横田・盆成]が合併し、紫波郡長岡村が成立。
明治23年(1890年)- 日本鉄道(現・JR東北本線)開通。
昭和30年(1955年)4月1日 - 日詰町・赤石村・赤沢村・佐比内村・志和村・長岡村・彦部村・古館村・水分村と合併し、紫波町が発足。