南丹市: 歴史
=== 古代 ===
異説もあるが、八木地区に丹波国府が置かれたり、今では地名となっている氷室があったりするなど古くから中央律令政府とつながりが深かった。
それは恐らく桂川水運が深く関係しているのだろうと思われる。
室町時代
室町時代にも、守護細川家の守護所として八木城が築かれ丹波一円の政務を総覧し、丹波国政の中心地となった。
戦国時代
戦国時代には八木に守護代内藤氏、美山地区に秦氏の末裔とされる川勝氏が割拠した。
キリシタン武士として名高い内藤如安も、この守護代内藤氏の末裔でもある。
八木城は内藤氏が滅ぼされた後は廃城となった。
江戸時代
元和5年(1619年)- 小出吉親が園部に封じられ、園部城を改築、園部藩を立藩した。
南丹市の中心部園部は明治維新まで園部藩・小出氏の城下町として発展し、以後幕末に至るまで小出氏がこの地を治めた。
歴代藩主は桂川の治水に尽力し、園部藩の発展に尽くした。吉親の祖先の小出吉政は豊臣秀吉の従兄弟という豊臣家の親族であったが、園部藩からは徳川幕府の幕閣も輩出している。
廃藩置県後は園部県、のち京都府に編成される。
平成
2001年(平成13年)8月9日 - 京都府中部の1市8町で「京都中部地域行政改革推進会議」を設立。
亀岡市をはじめ、京都市に編入合併された京北町、また京丹波町の合併に参加した3町も含まれていた。
2004年(平成16年)4月1日 - 後に南丹市となる4町が参加した「園部町・八木町・日吉町・美山町合併協議会」が発足。会長に園部町長の野中一二三(のなか かずみ)が就任。
2005年(平成17年)
3月13日 - 合併協定調印式を開催。
3月30日 - 京都府知事に対し、廃置分合申請を行う。
8月12日 - 官報に総務省から総務大臣名義で南丹市設置の告示。
11月21日 - 最後の協議会に当たる第12回合併協議会が園部町の園部国際交流会館で開催される。
12月31日 - 合併協議会解散。
2006年(平成18年)1月1日 - 南丹市が発足。これにより、北桑田郡は消滅。
令和
2019年(令和元年)9月18日 - 第126代天皇徳仁即位に伴う令和の大嘗祭の際に使われる神饌を収穫する斎田「主基田」に南丹市八木町氷所新東畑の水田が選ばれる。