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柳井市: 歴史

柳井市: 歴史

=== 古代・中世 ===
古墳時代、柳井市向山に前方後円墳(柳井茶臼山古墳)築造。これは周防国造の墳墓と推定されており、国の史跡に指定されている。
古柳井水道がこの頃まで存在していて、水運に用いられていたという説がある。
平安時代、楊井庄設置。これは後白河法皇が営まれた蓮華王院(三十三間堂)領の荘園で、のちに開発された新庄に対し楊井本庄とも称す(文献では、1232年(貞永元年)「東大寺文書」が初見)。伊保庄は、堀河天皇の1090年代(寛治年間)京都上賀茂神社領の荘園。
室町時代、瀬戸内海交易の港町として栄えた(柳井川沿いの柳井湊)。中心地区は柳井川北側(現在の柳井駅から北へ500m)。現在も柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区には中世の町割りと「白壁の町並み」が残っている。

岩国吉川家(岩国領)の領地として、「岩国吉川領の御納戸」と称された。柳井縞・甘露醤油などが作られた。

明治維新後も商業都市として発展した。また農業産品の集積地であり、零細な製造業も存在した。
1897年(明治 30年)に、柳井津駅(現在の柳井駅)が、山陽鉄道(現在の山陽本線)敷設とともに開業し、優等列車を含む多数の列車が停車した。柳井機関区がおかれた。
1947年(昭和22年)12月5日、県内に昭和天皇の戦後巡幸があり、お召し列車が柳井駅に停車。行幸先から漏れた久珂郡、熊毛郡、大島郡の各村民が参加する奉迎場が駅前に設けられた。
大戦後の農村景気までは繁栄を謳歌し、美空ひばりが訪れたこともあった。それ以降、柳井は工場誘致や商業開発がある程度進んだ。
しかし、地理的な関係から国道2号や山陽新幹線、山陽自動車道が柳井を経由せずに整備されたということもあり、軍需都市からの転換で高度経済成長期に発展した周南地区や岩国市と比べ、時流に十分乗ることができなかったという指摘がある。

1954年(昭和29年)3月31日 - 玖珂郡柳井町・日積村・新庄村・余田村・伊陸村が合併して柳井市(第1次)が発足。
1954年(昭和29年)5月1日 - 大島郡平郡村を編入。
1956年(昭和31年)7月20日 - 熊毛郡阿月村を編入。
1956年(昭和31年)9月30日 - 熊毛郡伊保庄村を編入。
1979年(昭和54年)7月2日 - 梅雨前線の活発化による集中豪雨で、伊保庄地内のため池が決壊。全半壊12戸、浸水19戸。
2005年(平成17年)2月21日 - 玖珂郡大畠町と合併し、改めて柳井市(第2次)が発足。

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Quelle: Text: Wikipedia – „柳井市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Earth Science and Remote Sensing Unit, Lyndon B. Johnson Space Center, Public domain – Wikimedia Commons