大野市: 歴史
=== 中世 ===
安土桃山時代
天正3年(1575年)、織田信長より一向一揆討伐の命を受けて、金森長近が美濃から大野に進攻。一揆平定後、長近は大野盆地が見渡せる亀山に大野城を、その東麓に城下町を造り始めた。これが現在の大野市街地の起こりである。以後今日まで、大野市は奥越地方の中心地として栄えてきた。
豊臣秀吉より織田秀雄が大野郡5万石大野城主を任され大野宰相と称された。
江戸時代
山頂にそびえる天守と短冊状に区切られた町並み、中世から近世にかけて築かれた寺院が甍を連ねる寺町通り、城下町誕生のころから続くとされる七間朝市など、400年を超える歴史を彷彿とさせる景観を今も色濃く残していることから、「北陸の小京都」「越前の小京都」と呼ばれている。江戸後期には藩をあげて蘭学研究がさかんで、司馬遼太郎は「日本における洋学の位置中心地であった」と記してる。
昭和
1947年(昭和22年)10月25日 - 昭和天皇の戦後巡幸。県立大野中学校(現大野高等学校)校庭に大野郡奉迎場が設けられた。
1954年(昭和29年)7月1日 - 大野郡大野町、下庄町、上庄村、五箇村、阪谷村、富田村、乾側村および小山村が合併して、大野市が発足。
1968年(昭和43年)10月2日 - 昭和天皇、香淳皇后が第23回国民体育大会に合わせて県内を行幸啓。市内の大野和光園・聖和園を訪問。
1970年(昭和45年)7月1日 - 大野郡西谷村を編入。
平成
2005年(平成17年)11月7日 - 大野郡和泉村を編入する。現在の市の区域となる。同時に大野郡が消滅した。
1888年(明治21年)4月8日 - 大野市(当時は大野町)で1,000棟以上を焼失する大野大火が発生する。以後、この日にあわせて消防訓練が毎年行われている。また、2008年には40年ぶりに消防隊のラッパ隊が復活した。
1940年(昭和15年)1月25日 - 上庄村にあった志目木鉱山で大規模な雪崩が発生。作業員ら37人が死亡。
1965年(昭和40年)9月 - 台風により活発化した秋雨前線の影響により四〇・九風水害が発生。真名川の堤防決壊、氾濫が多数の箇所で発生し、市内の多くの地域が冠水する。真名川の上流域の西谷村が廃村になる契機にもなった。
2026年(令和8年)8月30日 - 集中豪雨。住家の床上浸水1件、床下浸水10件。越美北線が路盤流失などの影響で運休となった。