都留市: 歴史
=== 先史 ===
郡内地方では桂川や支流域の平坦地に数多くの考古遺跡が立地している傾向にある。市域も同様で、大野の一杯窪遺跡は旧石器時代の遺跡で、山梨県内最古の石器類が出土している。また縄文時代の遺跡は早期から見られ、縄文中期の集落遺跡である尾咲原遺跡や中溝遺跡、後晩期の配石遺構が見られる牛石遺跡や中谷遺跡、桂川河岸段丘上の美通遺跡などがある。一方、郡内の傾向として弥生時代以降の遺跡は乏しい。
古代の律令制下では甲斐四郡のうち都留郡に属し、市域には桂川流域の多良郷が比定されている。
戦国時代には都留郡を領した国衆・小山田氏が市域を本拠としている。小山田氏は国中地方における守護武田氏と有力国衆との抗争に介入して武田氏と敵対していたが、信虎期に武田氏と和睦して武田家臣団に加わる。
晴信(信玄)期には有力家臣として活躍し、勝頼期には織田・徳川連合軍の侵攻に際して小山田信茂が織田方に内通するが、織田氏により討伐され小山田氏は滅亡する。小山田氏は、はじめ桂川支流大幡川左岸にあたる中津森館を本拠としていたが、武田氏の武田城下町造成と平行して現在の都留市中心市街にあたる谷村(やむら)の地へ居館の移転を行い、谷村館(正確な所在地は不明)を中心に城下町整備を行う。
谷村は後の甲州街道から分岐し吉田へ至る富士道が通り、中世には市も成立した要地で、近世に甲斐国を領した徳川氏や豊臣系大名時代にも政治的拠点として活用された。また、谷村から桂川を挟んで対岸の川棚には勝山城が所在し、築城期は不明であるが、城跡からは豊臣系大名の浅野氏時代の居館や屋敷地の遺構が検出されており、桂川左岸に新たな城下町造成が企図されていた可能性も指摘されている。
江戸時代には谷村城が築かれ鳥居氏、秋元氏二代の谷村藩が成立し郡内地方の政治的拠点となり町場が発達する。秋元氏時代には郡内地方における用水堰の開削や郡内織の新興が行われているが、市域でも秋元氏時代の開削と言われている谷村大堰があり、近世には郡内織も広く営まれていた。
宝永元年(1704年)に秋元氏が武蔵国川越へ転封されると郡内地方は幕府直轄領化となり、谷村城は破却されて谷村には陣屋が設置され町場は衰退する。
1954年(昭和29年)4月29日 - 南都留郡谷村町・宝村・禾生村・盛里村・東桂村が合併して都留市が発足。山梨県で4番目、郡内地方で2番目の市。
1954年(昭和29年)8月5日 - 市章を制定。