Heimatgeschichte · Shibushi ·

志布志市: 歴史

志布志市: 歴史

現在の志布志市域は廃藩置県まで日向国諸県郡に属していた。中世は隣接する大崎町域と共に救仁院を構成していた(明治の南諸県郡=中世の救仁院)。
志布志は古くから海を糧に栄え、平安時代末期に開かれた大隅・薩摩・日向に誇る広大な荘園・島津荘の唯一の水門(港)として発展し、江戸時代には薩摩藩の直轄領となり、現在の市域に志布志・松山の外城(1784年以降は「郷」)がそれぞれ設置された。海上交易が盛んになった江戸時代には内外交易でひらけ、「志布志千軒の町」とうたわれるほどの町並みを形成し活況を呈していた。調所広郷が弘化3年7月27日には志布志郷地頭となり、死去するまで兼職する。
当時の区域は以下の通り。

志布志郷 - 旧志布志町・旧有明町(山重を除く)および曽於市大隅町月野
松山郷 - 旧松山町
※有明町山重は大崎郷野方村の一部。
外城ごとには郷士の居住する「麓集落」がおかれ、志布志郷は志布志小学校周辺、松山郷は松山支所周辺に位置した。

旧日向国であった志布志市域では廃藩置県後複数回、所属県の変更が実施された。

明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県に伴い鹿児島県に属す。
明治4年11月14日(1871年12月25日) - 府県統合に伴い都城県に属す。
1873年(明治6年)1月15日 - 旧日向国域と区域を一致する宮崎県の設置に伴い宮崎県に属す。
1876年(明治9年)8月21日 - 鹿児島県が宮崎県を編入。再び鹿児島県に属す。
1883年(明治16年)5月9日 - 宮崎県を再設置。現在の志布志市域と大崎町は鹿児島県に残ったため、同年6月に諸県郡を南北に分割し南諸県郡が誕生。

1889年(明治22年)の町村制施行時に二郷はそれぞれ志布志村・松山村として発足。しかし志布志村は当時の自治体としては面積が広大であったため、1891年(明治24年)2月に東西に分割された。また、旧郷士の支配への反発から月野村が単独の自治体として独立した(月野村は昭和時代半ばに大隅町に編入、現在は曽於市の一部)。
この時点で志布志市発足前の3町域の各自治体(東志布志村・西志布志村・松山村)が成立した。3村は後にそれぞれ町制施行し、東志布志村が大正時代に志布志町、西志布志村と松山村は昭和時代第二次大戦後にそれぞれ有明町、松山町と改称された。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の村が発足。
南諸県郡志布志村・松山村・大崎村(1891年に野方村となった地域の一部)
1891年(明治24年)2月 - 志布志村を東志布志村・西志布志村・月野村に分割。大崎村から野方村を分割。
1897年(明治30年)4月1日 - 郡制施行に伴う郡区画改正により、南諸県郡と東囎唹郡が統合され囎唹郡となる。
1913年(大正2年)7月1日 - 東志布志村が町制施行、志布志町となる。県内では加治木町(現姶良市)、鹿屋町(現鹿屋市)に次いで3例目。
1949年(昭和24年)6月4日 - 昭和天皇の戦後巡幸。昭和天皇が志布志港、西志布志村の開拓地などに行幸。
1955年(昭和30年)4月1日 - 西志布志村が野方村の山重小学校区を編入(野方村の他の地域は大崎町・大隅町に編入)。
1958年(昭和33年)4月1日
西志布志村が町制施行し改称、有明町となる。町名は志布志湾の別名が有明湾であることに由来。
松山村が町制施行、松山町となる。
2006年(平成18年)1月1日 - 曽於郡志布志町、有明町、松山町が合併し、志布志市が発足。同時に市章を制定する。市政実施当初の志布志市役所本庁は旧・有明町役場に設置された。
2016年(平成28年)9月21日 - ふるさと納税PR動画 『うな子』(少女U→UNAKO、佐々木萌詠)が公開される。
2021年(令和3年)1月1日 - 志布志市役所の本庁舎機能を市の市街地中心部にある志布志支所(旧・志布志町役場)に移転。旧来の市役所本庁舎は有明支所に変更。同月4日より本格業務を開始。

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Quelle: Text: Wikipedia – „志布志市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: ja:User:Sanjo, Public domain – Wikimedia Commons