Heimatgeschichte · Izu ·

伊豆市: 歴史・出来事

伊豆市: 歴史・出来事

=== 古代 ===
縄文時代
草創期:中伊豆甲之背遺跡で石器製造が行われる。
早期:修善寺池の本遺跡で集落が営まれる。
中期:修善寺出口遺跡、中伊豆上白岩遺跡で集落が営まれる。
後期:中伊豆上白岩遺跡で大規模な配石遺構が出現する。伊豆東部火山群、特に天城山カワゴ平において大規模な噴火活動が起きる。
弥生時代
終末期:修善寺柏久保遺跡で集落が営まれる。
古墳時代
中伊豆梅木横穴群が造営される。

680年:駿河国二郡が分離され、伊豆国が誕生する。
701年:大宝律令発布に伴う国郡里制施行により、伊豆国に田方・那賀・賀茂の3郡が置かれる。
715年:郷里制施行により里が郷へと改められ、郷の下に新たに2~3の里が置かれる。田方郡内における郷は平城京跡出土荷札木簡により棄妾、有雑(有参)、久寝などの郷が確認されている。
930年頃:『和名類聚抄』において新居、小河、直見、佐婆、鏡作、茨城、依馬、八邦、狩野、天野、吉妾(棄妾)、有辨(有雑・有参)、久寝の13郷が確認。このうち狩野郷が伊豆市内に比定されている。
1050年頃:工藤維景、伊豆国狩野荘に移住し狩野を名乗る。
1075年頃:狩野維職、伊豆押領使を務める。
1100年頃:狩野氏、狩野城を築く。
1170年頃:狩野茂光、大見家秀、大見実政ら伊豆大島にて源為朝を征伐する。
1176年:工藤祐経、大見成家・八幡行氏に命じて伊東祐親を襲撃、結果祐親の子河津祐泰を討つ(→曾我兄弟の仇討ちの発端となる)。
1180年頃:田代信綱、治承・寿永の乱における功績から狩野荘田代郷の地頭に補任される。
時期不明:中伊豆大見城、柏久保城、田代砦、土肥高谷城、丸山城が築かれる。

1193年:源範頼、源頼朝により伊豆配流。狩野宗茂・宇佐美祐茂が連行。
1203年:鎌倉幕府第2代将軍源頼家が修禅寺に幽閉される。
1204年:幽閉中であった頼家が暗殺される。
1210年:北条政子、頼家の七回忌にあたり仏師実慶をして「木造大日如来坐像」を造る。国有形文化財に指定。
1353年:畠山国清、関東管領となり鎌倉公方足利基氏を補佐する。併せて伊豆国守護となる。
1361年:畠山国清、鎌倉公方と関係悪化。修善寺城・三津城・金山城で鎌倉公方勢に抗戦。
1362年:畠山国清、鎌倉公方に敗れる。
1493年:北条早雲、堀越公方足利茶々丸討伐のため伊豆討ち入りを開始。伊豆の在地豪族では大見三人衆、江梨鈴木氏、三津松下氏、田子山本氏、妻良村田氏、雲見高橋氏、土肥富永氏などが早雲方として参戦した一方、狩野氏、関戸氏、伊東氏などは茶々丸方として早雲と敵対した。

1577年:後北条氏家臣富永政直により土肥金山が発見、開発される。
1594年:伊豆代官彦坂元正により伊豆の総検知が行われる。
1601年:彦坂元正、伊豆金山奉行に就任。
1606年:大久保長安、伊豆金山奉行に就任。土肥金山とその周辺は「土肥千軒」とも呼ばれるほど隆盛を極める。
1613年:市川助右衛門、伊豆金山奉行に就任。
1625年:土肥金山休山。
1744年:天城湯ヶ島の山守板垣勘四郎、三島代官に命じられシイタケ栽培の技術指導を有東木地区(現静岡市葵区)で行う。その見返りとしてのワサビを持ち帰り試植を行う。

1868年(明治元年):廃藩置県で韮山県が成立。
1871年:11月14日、第1次府県統合により小田原県、荻野山中県、韮山県が統合足柄県が発足。
1872年:養気館新井(現在の新井旅館)が創業する。
1874年:眠雲閣落合樓が創業する。猫越川と本谷川が庭内で合流し狩野川となる様子から山岡鉄舟により落合樓と命名。
1876年:8月21日、足柄県が分割され静岡県と神奈川県に編入。
1892年:旧中伊豆町原保村の平井熊太郎、ワサビ栽培において畳石式栽培法を開発。
1904年:天城山を貫く天城山隧道が開通。南伊豆から中伊豆への移動が容易になる。
1906年:現在の静岡県道12号伊東修善寺線が県道伊東大仁線として冷川峠ルートで開通。
1911年:駿豆電気鉄道株式会社により梅木水力発電所が建設される。レンガ造水路橋が2025年時点で現存、現役。
1912年:修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂が建立される。
1919年(大正8年):大井上康、ブドウ研究のため上白岩に理農学研究所を設立。
1924年:8月1日、伊豆箱根鉄道駿豆線の大仁駅から修善寺駅間が開業。
1930年(昭和5年):11月26日、北伊豆地震が発生。伊豆半島北部で大きな被害を出す。
1937年:3月15日、持越鉱山でガス爆発事故が発生、24人以上が死亡5月19日には277人の解雇が発表されてストライキが行われた。
1958年:9月27日、狩野川台風によって狩野川流域で甚大な被害を出す。
1964年:修善寺ロープウェイが城山の北西に開業。
1964年:5月15日、伊豆スカイラインの巣雲山から冷川ICまでが供用開始。
1964年:10月1日、伊豆スカイラインの冷川ICから天城高原ICまでが供用開始。
1969年:8月30日、西伊豆スカイラインが供用開始。
1970年:4月1日、新天城トンネルが供用開始。
1974年:5月9日、伊豆半島沖地震が発生。
1976年:中伊豆地区における発掘調査により上白岩遺跡が発見される。
1978年:1月14日、伊豆大島近海の地震が発生。持越鉱山の鉱滓ダムが決壊、シアン化物が狩野川へ流出。
1978年:7月1日、中伊豆バイパスが供用開始。
1980年:9月27日、西伊豆バイパスが供用開始。
1992年(平成4年):9月19日、伊豆縦貫自動車道(修善寺道路)の熊坂IC - 修善寺ICが供用開始。

2004年:4月1日、田方郡修善寺町・土肥町・天城湯ケ島町・中伊豆町の4町が合併、伊豆市発足。
2004年:10月9日、台風22号が土肥峠付近に上陸。天城湯ケ島地区で死者1名のほか、修善寺地区の修善寺温泉で修善寺川が氾濫し被害を出す。
2006年:4月21日、伊豆半島東方沖地震が発生し、修善寺地区で震度5弱を記録。
2009年:8月11日、駿河湾地震が発生。天城湯ケ島地区で震度6弱を観測。伊豆市内で震度6弱を記録するのは、気象庁に記録の残る1919年以降初。
2012年:11月10日、第36回全国育樹祭が開催され、あまぎの森会場において当時の皇太子臨席のもと、手入れの行事が行われた。
2013年:6月28日、コミュニティラジオ局の「FM IS」(エフエム イズ、愛称:みらいずステーション)開局。

== 人口 ==
市の発足前から人口の減少は進んでおり、発足時(2004年)の人口は38,108人であった。

市街地再開発事業
伊豆市では人口減少を食い止め、伊豆箱根鉄道駿豆線を利用した沼津・三島地区のベッドタウン化を現在以上に遂げて人口増加へ繋げるために、修善寺駅を主とした市街地再開発事業が進められている。主な内容は、修善寺駅舎の建て替え・北口の新設、駅南・駅北地区の連絡通路の新設、駅北広場の廃止し大型駐車場新設、新しい広場の設置、歩道の再整備など。修善寺駅周辺市街地の再開発完了後には牧之郷駅の駅舎建て替え・マンション新設などの整備も検討されている。

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Quelle: Text: Wikipedia – „伊豆市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Batholith, Public domain – Wikimedia Commons