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相生市: 歴史

相生市: 歴史

=== 市名の由来 ===

1186年(文治2年)、播磨国赤穂郡矢野荘別名の下司職であった大嶋城主の海老名盛重が大浦と呼ばれていた当地に下屋敷をつくり、生国が相模国であることから相生浦の字を当てたとする説が有力である。仮名遣い(歴史的仮名遣/現代仮名遣い)は大(おほ/おお)、相生(あふ/おう)と異なるが、発音はいずれも「オー」である。
1939年4月10日までは「相生(おお)」と呼ばれていた。現在でも相生市相生の集落の一帯を、通称「おお」と呼ぶ。このため、「O」という地名であるとしてギネスブックに「世界最短の地名」の一つとして掲載されていたことがある(現在の邦訳版にはない)。
「相生」という言葉は、日本全国で相生町や相生村など地名として使われているほか、語句としても使用されることがある。これらは、直接「相生市」とは関係がないものと思われる。
現行の日本の市町村を五十音順に並べると、当市が最初になる(2005年までは秋穂町(あいおちょう、現・山口市)が存在したため、市町村では最初ではなかった)。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、赤穂郡相生村・揖西郡野瀬村の区域をもって赤穂郡相生村(おおむら)が発足。
1913年(大正2年)1月1日 - 相生村が町制を施行して相生町(おおちょう)となる。
1939年(昭和14年)
4月1日 - 赤穂郡那波町を編入。
4月11日 - 相生町の読みを「あいおいちょう」に変更。
1942年(昭和17年)
10月1日 - 相生町が市制を施行して相生市となる。
11月12日 - 市章を制定。
1951年(昭和26年)8月10日 - 揖保郡揖保川町の一部(大字那波野)を編入。
1954年(昭和29年)8月1日 - 赤穂郡若狭野村・矢野村を編入。
1992年(平成4年)10月1日 - 市旗を制定。
昭和の大合併においては、姫路市のラモート合併に触発されて「西播田園都市構想」が持ち上がり、相生市・龍野町を中心とする10市町村による合併が当初構想されたが、結局立ち消えとなった。また西方では有年村・高田村が相生市・赤穂市を中心とする10市町村の合併を提唱したが、具体化しなかった。
市域の狭い相生市にとって近隣地域との合併は戦前からの懸案であり、周辺市町村の動きに対応して相生市でも合併の動きが加速する。1951年1月16日に揖西村・半田村・神部村・河内村・室津村・若狭野村・矢野村の7村に対して合併の申し入れをしたが、龍野町からも合併の申し入れを受けていた半田・神部・河内の3村は態度を保留(のち3村で揖保川町を新設)、住民投票の結果揖西村は龍野町へ、室津村は御津町への合併を議決した。相生市は残る矢野・若狭野両村との合併を進め、矢野村は若狭野村との同調を前提に合併に積極的、若狭野村は一部に根強い反対があったものの播磨造船所の社宅がある入野地区を中心に7割が合併賛成に傾き、1市2村による合併が成立した。町村合併促進法の失効後も揖保川町・御津町に合併を働きかけるも、さらなる合併は進まなかった。
2003年(平成15年)11月30日に赤穂郡上郡町との間に相生市・上郡町合併協議会を設置したが、合併特例法の期限内の合併には至らなかった。

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Quelle: Text: Wikipedia – „相生市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Corpse Reviver, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons