Heimatgeschichte · Taiwa ·

大和町: 歴史

大和町: 歴史

6世紀頃、鳥屋八幡古墳(宮城県指定史跡)から推測すると古墳時代後期には豪族が住んでいたと考えられている。
14世紀半ばの大和町は、大崎直持に治められ、その一族の黒川氏直の所領だった。
1590年(天正18年)黒川晴氏が伊達に敗れると、鶴巣館の北麓の下草城を1610年(慶長15年) - 1616年(元和2年)の間、伊達政宗の三男伊達宗清が居城とする。
吉岡宿は江戸時代の1615年 - 1616年(元和元年 - 元和2年)、伊達宗清が3万8千石で吉岡所(吉岡城)を築城し、侍屋敷、足軽屋敷、寺社の移転、整備を行い、上町、中町、下町の伝馬町を設置。城下町・宿場としての体裁を整えた。
1662年(寛文2年)からは奥山氏、1757年(宝暦7年)から但木氏(ただきうじ、但木顕行)が統治した。
一方で、1666年(寛文6年)に、伊達宗房は宮床に居館を構え、宗房の子孫は一時期を除き、幕末まで宮床を本拠とした(宮床伊達氏)。
吉岡宿は仙台藩自体の直轄領ではなかったものの、出羽街道、松島道との分岐点で交通の要所であり、仙台以北では大きな宿場で黒川郡の中心となった。一方、仙台藩から助成金が給付されず、重い課役で、住民が少しずつ吉岡宿を離れた。

商人の穀田屋十三郎(1720年(享保5年) - 1777年(安永6年))と菅原屋篤平治 は吉岡宿の住民の貧困をなんとか救おうと、黒川郡の大肝煎の千坂仲内 に相談するなどして、同志と合わせ9名 で1000両という大金(現在の金額でおよそ1億円 - 3億円)を8年かけて捻出し、その金を仙台藩に貸付けて、年末に受け取る1年ごとの利子で宿場を運営した(安永2年(1773年)頃から)。毎年暮れになると利息の100両を手にすることが出来るようになった吉岡宿は幕末に至るまで人口は減らなかった。
文化年間(1804年 - 1818年)では140軒と、仙台以北の奥州街道では大きな宿場に育った。
但木氏は、代々仙台藩奉行職を勤め、吉岡但木氏の5代目当主但木土佐は、幕末の仙台藩の財政立て直しに尽力するも、幕末の騒乱で敗戦、責任者として1869年(明治2年)5月19日処刑される。その墓が大和町吉田字一ノ坂28の保福寺にある。
1929年(昭和4年)- 現・大和町武道館が落成。
1955年(昭和30年)4月20日 - 昭和の大合併により、吉岡町、落合村、鶴巣村、宮床村、吉田村が新設合併し、大和町が発足。
1997年(平成9年)- 宮城県農業短期大学を併合して、大和町唯一の宮城大学が開校。
2007年(平成19年)- 大和町立吉岡、鶴巣、落合、吉田の各中学校を統合して大和中学校が開校。
2010年(平成22年)- 役場庁舎が移転。
2011年(平成23年)- 東京エレクトロン宮城(株)の新工場が操業。
2013年(平成25年)4月1日 - 役場庁舎の北側に、駐車場、タクシープールを併設した大和町バスターミナルを開設。
2015年(平成27年)9月11日 - 平成27年9月関東・東北豪雨で吉田川や竹林川が氾濫、町内の住宅の一部や主要施設が冠水。
2016年(平成28年)5月14日 - およそ240年ほど前の吉岡宿を舞台とした映画『殿、利息でござる!』(東日本放送、松竹)が公開された。
2019年(令和元年)10月13日 - 令和元年東日本台風(台風19号)の豪雨により吉田川の堤防から越水。付近一帯が水没した。

von Fremdinhalte · Regionauts

Quelle: Text: Wikipedia – „大和町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Wkatsuhiro, Public domain – Wikimedia Commons