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新見市: 歴史・沿革

新見市: 歴史・沿革

古代、備中国に新見郷(新美郷)が置かれた。
奈良時代の国郡郷制で、新見地方は高梁川を境に東に阿賀郡、西に哲多郡が設置され、明治まで続いた。
平安期、新見荘(新見庄)が置かれた。
鎌倉時代の吾妻鏡に紀康綱が、八代相伝の地である村社郷のうち小埋社町を、大江広元から不輸の地として賜ったとの記述がある。
鎌倉時代の中期、備中北部の豪族新見氏が地頭となって、井村の小谷に城を構えて居館とした。これが新見の語源と言われている。その後、東寺の所領となり、戦国時代は尼子氏の支配下に置かれた。
南北朝時代の後半には、新見庄において隣郷の土豪の多治部氏による押領が相次いだ。
1463年(寛正3年)7月に、新見に着任した東寺の僧・祐清(ゆうせい)が、年貢未納の名主・豊岡を追放した事を機に、隣接する相国寺領に住む豊岡の親族によって斬殺され、祐清の身辺の世話をしていたたまがきが、祐清の遺品を東寺に求めた手紙で、中世農村女性の自筆書状である「たまかき書状」と「祐清注進状」が、東寺百合文書(京都府立総合資料館蔵)に収載された。
1650年(慶安3年)- 備中松山藩藩主水谷勝隆が高梁川に、新見から松山の城下町までの水路を開通。高瀬船による水運を実施。
1697年(元禄10年)- 徳川幕府により松山藩領の阿賀、哲多、上房、川上を割いて、 関長治が新見藩を立藩。
1775年(宝暦5年)- 新見藩第3代藩主関政富により、思誠館(後の新見市立思誠小学校)を設立。
1792年(寛政4年)- 新見藩第5代藩主関長誠が丸川松隠を招聘し、思誠館の学頭、藩政の参与に抜擢。
1830年(天保1年)- 難波千代平が優良系統「竹の谷蔓牛(たけのたにつるうし)」を作った。
1871年(明治4年)- 廃藩置県により、新見県が成立。
1871年(明治4年)11月15日 - 新見県など備中・備後の11県が統合して、深津県が成立。
1875年(明治8年)12月10日 - 小田県は、岡山県へ統合。
1914年(大正3年)3月24日 - 新見電気が発電事業を開始。
1928年(昭和3年)10月25日 - 伯備線の備中川面 - 足立間が開業し全通。
1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風により町内の浸水戸数450戸、流失倒壊戸数12戸、損害概算57000円に達する。高梁川の橋梁のほとんどが流出し、伯備線も不通となった。
1938年(昭和13年)4月15日 - 大火が発生し、死者2名、負傷者6名、焼失戸数282戸、罹災人口約1500名、山林焼失250町歩、損害額253万円を出した。
1954年(昭和29年)6月1日 - 阿哲郡新見町・上市町・石蟹郷村・草間村・熊谷村・菅生村・豊永村・美穀村が新設合併し、新見市が発足。
1955年(昭和30年)5月1日 - 阿哲郡千屋村を編入合併。
1957年(昭和32年)4月1日 - 豊永赤馬小字坂尻を、上房郡北房町へと分離。
1978年(昭和53年)10月28日 - 中国自動車道の新見IC開業。
2002年(平成14年)6月23日 - 市長選挙と市議選挙において、日本初の電子投票の実施。
2004年(平成16年)10月24日 - 岡山県知事選において、日本初の知事選挙電子投票の実施。
2005年(平成17年)3月31日 - 新見市・阿哲郡大佐町・神郷町・哲多町・哲西町の1市4町が新設合併し、新たに新見市が発足。これにより、阿哲郡は消滅。
2016年(平成28年)12月25日 - 現職死去に伴う市長選で、前市議の池田一二三が初当選し、新見市初の女性市長が誕生。

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Quelle: Text: Wikipedia – „新見市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Phronimosx, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons