名寄市: 歴史
名寄市付近は縄文時代からヒトが居住してきた地域であったと考えられている。アイヌ民族が居住してきた地域でもあり、精霊コロポックルの民俗伝承が残る地域である。
1888年(明治30年)6月30日 - 同日付の道庁告示第140号で、上川郡上名寄村と中川郡下名寄村を置村。
1900年(明治33年) - 山形県東栄村(旧藤島町、現鶴岡市)から開拓団が集団移住した。
1902年(明治35年) - 上名寄、多寄、下多寄の各村が剣淵戸長役場(現在の剣淵町)から分離し、戸長役場を上名寄に設置された。
1903年(明治36年) - 旭川からの鉄道(現在の宗谷本線)が開通。
1907年(明治40年) - 下名寄外一村戸長役場(現在の美深町)を分離した。
1909年(明治42年) - 二級町村制を施行し、上名寄村(かみなよろむら)が誕生。
1915年(大正4年) - 一級町村制施行と同時に名寄町に改称。
1920年(大正9年) - 智恵文村が下名寄村(現在の美深町)から分村した。
1924年(大正12年) - 下川村(現在の下川町)を分村した。
1954年(昭和29年)8月1日 - 智恵文村と新設合併し名寄町となった。
1956年(昭和31年)4月1日 - 市制施行し、旧・名寄市となった。
2000年(平成12年)8月1日 - 名寄市開拓100年記念式典を開催。
2002年(平成14年)- 過疎地域に指定された。
2005年(平成17年)2月28日 - 風連町(上川郡旧多寄村字風連)との合併調印式挙行。
2006年(平成18年)3月27日 - (旧)名寄市、風連町と合併し、新・名寄市が発足した。
アイヌ語で現在の名寄川と天塩川の合流点を指していた名と考えられる「ナイオㇿプトゥ(nay-or-putu)」(川・の所・の口)に由来するとされる。また、名寄川それ自体も「ナイ(nay)」あるいは「ナイオㇿ(nay-or)」と呼ばれていたとされる。
この名寄川それ自体を指す「ナイオㇿ」、2つの川の合流点を指す「ナイオㇿプトゥ」は、江戸時代後期の1700年代末から1800年代にかけて、探検家や役人の残した文献、地図に「ナエロ(ナエフツ)」「ナヨロフト」「ナヨロ」「ナイブツ」などとして表記された。例えば幕末の探検家松浦武四郎は『天之穂日誌』で「此処をナイフトと云うはナヨロフトの詰語なり」と記し、『天塩日誌』においても「左ナイブト 本名ナヨロフト」としている。
その後、和人が流入し、「ナヨロ」「ナヨロフト(ナイブト)」に漢字を当てた際に、「奈与呂」「奈余路」「奈伊太」などが当てられたものの、1888年の上名寄村・下名寄村置村以降、行政的には「名寄」「名寄太」が使われた。なお「名寄」の字を当てた経緯は不明である。