新宮市: 歴史
=== 古代 ===
古代の新宮は熊野国造の領土に属し、日本書紀には、熊野神邑(くまのかむのむら)として登場した。
==== 戦国時代 ====
戦国時代の奥熊野地方は、小豪族が各地にあってそれぞれが独立して領地を治めていた。特に熊野三山とその周辺の土地は、三山の領地として(神領)認められていた。その神領を七上鋼と呼ばれる人達(新宮氏・芝氏・宮崎氏・滝本氏・中曾氏・箕島氏)が合議制で経営していた。彼ら七人は源行家の子孫または神官の出身といわれている。そのなかで堀内氏が力をつけてきた。堀内氏は佐野に居住し、いつごろかはわかっていないが勢力をはっていた石垣氏を配下におき天文 (元号)年間初頭(1530年代)には勢力を持っていた。
==== 江戸時代 ====
江戸時代には紀伊浅野藩の筆頭家老として浅野家一門の浅野忠長が入るが一代で備後三原(現在の広島県三原市)へ転封。
幕府にとって紀伊国の南の要衝として重視され、徳川頼宣が和歌山に入ると、新宮に水野重央が城代として入った。
新宮城代水野忠央は、幕末期に紀伊藩主徳川家茂(慶福)を14代将軍に擁立するなど、中央政界にも活躍を見せた。
明治維新の際、新宮藩となる。
==== 昭和 ====
1933年(昭和8年)10月1日 - 東牟婁郡新宮町・三輪崎町が対等合併して新宮市が発足。和歌山市に次いで和歌山県内2番目の市。
1935年(昭和10年)4月5日 - 熊野大橋完成。橋完成以前は、三重県営の渡し船が交通手段。
==== 昭和 ====
1946年(昭和21年)12月21日 - 南海地震が発生。マグニチュード8.1に達し、新宮市内で死者58人、負傷者245人、全焼2398戸、全壊600戸ほか。翌年県下に行われた昭和天皇の戦後巡幸では、市長が地震後の状況について天皇に奏上した。
1956年(昭和31年)9月30日 - 高田村を編入。
1959年(昭和34年)7月15日 - 紀勢本線が全通。
1951年(昭和26年)11月1日 - 「新宮市歌」(作詞:佐藤春夫、作曲:信時潔)を制定。
1977年(昭和52年)4月16日 - 昭和天皇、香淳皇后が第28回全国植樹祭開催に合わせ市内に行幸啓。新宮木材協同組合、熊野木まつり屋外展示会場などを視察。
2005年(平成17年)10月1日 - (旧)新宮市と熊野川町が合併し、(新)新宮市が発足。
2011年(平成23年)9月4日 - 台風12号による豪雨で旧熊野川町域をはじめ市内各地で浸水や土砂崩れの被害が相次ぐ。熊野川庁舎では三階付近まで浸水。熊野川町内にある道の駅は建物ごと跡形もなく流出した。