美作市: 歴史
=== 美作倉敷 ===
市の中心である林野(はやしの)地区は古くから交通の要衝で、戦国時代の頃から吉井川を往来する高瀬舟による物資の輸送が活発に行われた。船着場周辺には商人の蔵が立ち並び、やがて倉敷と呼ばれるようになった。江戸時代になると、最初に津山藩主になった森氏が津山城下の商人と同程度の権限を当地の商人に与え、東美作の中心と位置付けられる。森氏改易後は江戸幕府の直轄地になって代官所が置かれ、その後も物資の集散地として繁栄を続けた。
明治時代に町村制が施行。1889年に英田郡倉敷村(美作倉敷)になり、同時に窪屋郡倉敷村(現・倉敷市、備中倉敷)も発足し、岡山県内に二つの倉敷村が誕生した。その後、備中倉敷は紡績工場や鉄道等が作られる等いち早く近代化が進み、二つの倉敷の差は徐々に開いてゆくことになる。
備中倉敷の知名度が上がるにつれ、郵便や荷物の誤配が頻発する問題が発生。美作倉敷宛に正式住所を記載しても4分の1くらいが備中倉敷に送られてしまい、交通機関が未発達であった当時は大変な損害を荷主に与えることが少なくなかった。そして、1918年(大正7年)当時の町長が上記の理由から旧郷名の林野郷(はいのごう)に由来する林野(はやしの)町に改名し、備中倉敷に倉敷の名を譲った形となった。(『美作町史』より)
ここでは、明治時代から平成の大合併による美作市成立までにおける、市町村制施行に伴う合併や編入の変遷についてまとめた。
1889年(明治22年) - 6月1日、町村制施行に伴い、勝北郡大町村・小畑村・久賀村・河内村・真加部村・矢田村・余野村が合併し勝田村となる。
1889年(明治22年) - 6月1日、町村制施行に伴い・吉野郡江ノ原村・下町村・辻堂村・古町村が合併し大原村となる。
1890年(明治33年) - 4月1日、勝北郡と勝南郡が合併し勝田郡となる。
1900年(明治33年) - 4月1日、吉野郡と英田郡が合併し新たな英田郡となる。
1922年(大正11年) - 10月1日、町制施行により、大原村が大原町となる。
1940年(昭和15年) - 11月3日、町制を施行し、勝田村が勝田町となる。
1949年 (昭和24年) - 10月1日、町制施行により、湯郷村が湯郷町となる。
1953年(昭和28年) - 4月1日、英田郡林野町・豊田村・楢原村・勝田郡湯郷町・豊国村が合併し英田郡美作町となる。
1953年(昭和28年) - 9月1日、英田郡江見町・土居町・福山村・粟井村・吉野村が合併し作東町となる。
1954年(昭和29年) - 3月25日、英田郡(旧)大原町・讃甘村・大野村・大吉村が合併し大原町となる。大字辻堂を仲町に改称。
1954年(昭和29年) - 3月31日、勝田郡吉野村大字豊久田の内、杉原地区が勝田町へ編入(吉野村の残部は他町村と合併し勝央町を新設)。
1954年(昭和29年) - 7月1日、英田郡巨勢村下倉敷地区・海田地区を編入。巨勢村の残部は福本村(のちの英田町)へ編入。
1954年(昭和29年) - 11月1日、英田郡粟広村田殿地区が英田郡美作町へ編入、英田郡粟広村大字長谷内・馬形・宗掛が勝田郡勝田町へ編入。
1955年(昭和30年) - 1月1日、勝田郡(旧)勝田町・梶並村が合併し勝田町となる。
1955年(昭和30年) - 2月1日、英田郡福本村・河会村が合併し英田町となる。
1956年(昭和31年) - 2月1日、勝田郡公文村安蘇地区・岩見田地区が美作町へ編入。
1956年(昭和31年) - 2月1日、勝田郡公文村の5地区が英田町へ編入。
2004年(平成16年) - 11月6日、英田町制施行50周年式典が挙行、町民ら300人が出席。
2004年(平成16年) - 11月10日、勝田町制施行50周年式典が挙行、町民ら200人が出席。
2005年(平成17年) - 3月31日、勝田郡勝田町、英田郡美作町・大原町・作東町・英田町・東粟倉村の5町1村が合併により「美作市」が誕生し、市制施行。
2025年(令和7年) - 5月7日、市役所が美来地区の鉄筋コンクリート2階建ての新庁舎に移転。