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いちき串木野市: 歴史

いちき串木野市: 歴史

=== 市名の由来 ===
市名のいちき串木野は合併前の市町名の串木野と市来から取られている(詳細は後述)。「いちき串木野市」は、茨城県のつくばみらい市とかすみがうら市と並び、日本一文字数の多い市名である(6文字)。

==== 市来の由来 ====

当初、公募を行いまとめられた候補一覧の中から合併協議会の審議により市の名称についてはれいめい市と決定された。しかし、名称決定後の旧串木野市側の住民説明会にて名称再検討の要請が多数あり、再度協議会にて審議が行われ、いちき串木野市に決定された。なお、「いちき」が平仮名であるのは、当時の市来町で発行していた町会報では平仮名で「いちき」と表記していたため、合併協議会にて平仮名の「いちき」と漢字の「串木野」を提案したところ協議が承認され、市名が決定したという経緯がある。

2004年(平成16年)8月26日 - 第10回協議会にて新市名称候補一覧(串木野市、くしきの市、西さつま市、望海市、れいめい市の5案)が提案される。
2004年(平成16年)10月14日 - 第12回協議会にて新市の名称をれいめい市と決定する。
2004年(平成16年)11月11日 - 第14回協議会にて新市の名称を再協議すると決定。
2004年(平成16年)11月19日 - 第15回協議会にて、以前決定したれいめい市といちき串木野市の2案に絞られる。
2004年(平成16年)11月22日 - 第16回協議会にていちき串木野市が新市の名称に選ばれる。

==== 明治以降 ====
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の町村が発足。いずれも日置郡。
上名村・下名村・串木野町・荒川村・冠岳村・羽島村が合併し、串木野村が発足。
湊町・湊村・大里村・川上村が合併し、西市来村が発足。
1930年4月1日 - 西市来村が町制施行。市来町となる。
1935年4月1日 - 串木野村が町制施行。串木野町となる。
1945年7月30日 - 米軍により空襲(串木野空襲)を受ける。8月9日・12日の3回にわたる。
1950年10月1日 - 串木野町が市制施行。串木野市となる。日置郡では唯一単独で市制を施行し、最も早く郡から離脱した町であった。
1966年6月16日 - 羽島地区で大火が発生する(羽島大火)。
1972年(昭和47)10月24日 - 第27回国民体育大会に出席するために来県した天皇、皇后が串木野市営相撲場に行幸。

===== 串木野市の動向 =====

2002年(平成14年)12月25日 - 川内市、串木野市、樋脇町、入来町、東郷町、祁答院町、里村、上甑村、鹿島村の2市3町3村で川西薩地区法定合併協議会の設置。
2003年(平成15年)4月7日 - 串木野市の田畑誠一市長が離脱表明。
2003年(平成15年)7月10日 - 串木野市長と串木野市議会の意思統一ができない等の理由により川西薩地区法定合併協議会の休止。

2003年(平成15年)1月21日 - 市来町、東市来町、伊集院町、日吉町、吹上町、金峰町の6町で日置合併協議会の設置。
2003年(平成15年)10月14日 - 同年9月中下旬に実施された住民アンケートの結果に基づき、市来町が日置合併協議会より離脱。

2003年(平成15年)12月18日 - 串木野・市来合併協議会の設置。
2005年10月11日 - 串木野市と日置郡市来町が合併し、いちき串木野市となる。同時に市章を制定する。

2008年 - 旧市来町時代から、総額10億円を掛けて建設した市来一般廃棄物利用エネルギーセンターが、技術的問題により正常稼動せず、事業が頓挫する。
2015年10月11日 - 合併10周年を記念し、市民歌「故郷 〜輝く未来へ〜」と市民音頭「いちき串木野元気でいこう」を制定。
2022年3月22日 - 株式会社ウェイブダッシュが行った「思わず噛んじゃう市の名前ランキング」で全国1位となる。受賞に際しては担当者より「県外へ電話した時に正確な取次は困難であり恐縮することも度々ありますが、PRイベントでは「いちき串木野」を3回噛まずに言うゲームを実施し、言いにくいことを利用してきました」というコメントが寄せられている。

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Quelle: Text: Wikipedia – „いちき串木野市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Ray_go, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons