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遠野市: 歴史

遠野市: 歴史

=== 城下町としての遠野 ===
徳川家康に臣従し、盛岡藩を成立させた南部利直は領内の基盤整備に取りかかった。それまで遠野を領有していた阿曽沼氏や鱒沢氏を追放し、根城南部氏の八戸直義を転封して仙台藩領と隣接する遠野の統治にあたらせた。1627年(寛永4年)、直義は遠野鍋倉城主として12,500石を与えられた。以後明治維新までの約240年間、遠野は遠野南部氏の城下町として存続した。
遠野南部氏時代、遠野は拾戸(じゅうのへ)とも呼ばれた。元々、「戸」は南部氏の本拠地であった糠部郡に設けられて一から九までの数字が付けられた区画・地名で、閉伊郡には無関係なものであったが、遠野南部氏が八戸から遠野に移った際に、遠野を新たな10番目の「戸」と位置づけることで南部氏の土地であることを強調したものと思われる。
歴代当主は盛岡藩御三家の一つとして盛岡に常駐していたため、実際の政務は鍋倉城代である重鎮の家老達により行われていた。現在も穀町、大工町、材木町、六日町という地名に城下町の名残を見ることができる。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、横田村が単独で町制施行して西閉伊郡遠野町が発足。
1897年(明治30年)4月1日 - 郡制の施行により、西閉伊郡と南閉伊郡の区域をもって上閉伊郡が発足。上閉伊郡遠野町となる。
1954年(昭和29年)12月1日 - 青笹村・綾織村・小友村・上郷村・附馬牛村・土淵村・松崎村と合併して遠野市が発足。
1955年(昭和30年)6月25日 - 初代「遠野市民歌」を制定。
2005年(平成17年)10月1日 - (旧)遠野市が上閉伊郡宮守村と合併し、新制の遠野市が発足。
2006年(平成18年)9月6日 - 2代目「遠野市民歌」を制定。

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Quelle: Text: Wikipedia – „遠野市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 663highland, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons