Heimatgeschichte · Ninohe ·

二戸市: 歴史

縄文時代 - 古代には、この近辺に爾薩体と呼ばれるエミシの部族集団が居住していたが、811年(弘仁2年)に征夷将軍だった文屋綿麻呂が爾薩体と共に弊伊を征服したと『日本後紀』に記述されている。
奈良時代には、聖武天皇の勅命を受けた行基がこの地に八葉山天台寺を開山したと伝えられている。
かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、糠部郡、鹿角郡、比内郡、津軽平賀郡、津軽田舎郡、津軽山辺郡、津軽鼻和郡、外浜、西浜が建郡された。
二戸の名前は、糠部郡に敷かれていた「四門九戸(しもんくのへ)」の制に由来する。
四門九戸の制とは、糠部郡を東西南北の四つの門と、一から九までの「戸」(あるいは部)に分けるものであり、糠部郡内の主な地域を一戸から九戸に分画して余った四方の辺地を東門、西門、南門、北門と呼んだと思われる。
「戸」とは「牧場」の意であるとも言われる。
寛永11年(1634年)糠部郡は、二戸郡、北郡、三戸郡、九戸郡に分割された。
四戸を除き、一戸から九戸は現在でも地名として現存し、一戸町、二戸市、九戸村が岩手県に立地し、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市は青森県に立地しており、北門は現在の上北郡、下北郡にその名を留めている。
室町時代以降江戸時代の終わりまで、この地は南部氏の統治下に置かれ、冷涼な環境と酷政により飢饉がたびたび発生した。
明治維新後に行われた廃藩置県(1871年)の際には当初この地域は青森県になるも、1876年には岩手県に編入され現在に至る。
九戸政実の乱平定の後に南部氏がここに居城を構えていたときの名が福岡城であったことも含め、一般にはこの地は福岡町と呼ばれており、現在の二戸市中心部は、二戸郡福岡町であった(二戸という市名は郡名より採用されたものである)。

1891年(明治24年)12月20日 - 東北本線福岡駅開業。
1921年(大正10年)6月1日 - 福岡駅を北福岡駅に改称。
1982年(昭和57年)11月 - 国道4号二戸バイパス全通。
1987年(昭和62年)2月1日 - 国鉄北福岡駅を二戸駅に、金田一駅を金田一温泉駅に改称。
1989年(平成元年)9月7日 - 八戸自動車道浄法寺インターチェンジ開業。
2002年(平成14年)12月1日 - 東北新幹線二戸駅が開業。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行される。
福岡村が町制施行し、二戸郡福岡町が成立する。
安比村、似鳥村、福田村、上斗米村の一部が合併して、二戸郡御返地村が成立する。
米沢村、上斗米村の一部、下斗米村の一部が合併して、二戸郡斗米村が成立する。
旧・石切所村と福岡村の一部が合併して、二戸郡石切所村が成立する。
堀野村、白鳥村、仁左平村、福岡村の一部が合併して、二戸郡爾薩体村が成立する。
旧・金田一村、野々上村、釜沢村、下斗米村の一部が合併して、二戸郡金田一村が成立する。
旧・浄法寺村、大清水村、駒ヶ嶺村、漆沢村、御山村が合併して、二戸郡浄法寺村が成立する。
1940年(昭和15年)12月25日 - 浄法寺村が町制施行して、浄法寺町となる。
1955年(昭和30年)3月10日 - 福岡町が御返地村、斗米村、石切所村、爾薩体村を編入する。
1972年(昭和47年)4月1日 - 福岡町と金田一村が合併し、旧・二戸市となる。
2006年(平成18年)1月1日 - 旧・二戸市と二戸郡浄法寺町が合併し、新たな二戸市となる。

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Quelle: Text: Wikipedia – „二戸市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0