野木町: 歴史
明治5年以前の日付は旧暦、括弧内は西暦換算。
寿永2年2月23日(1183年3月) - 小山朝政・小山宗政、野木宮合戦において志田義広軍を破る。
文化3年2月23日(1806年4月) - 野木神社焼失する。
明治4年(1871年)
7月14日(8月29日) - 廃藩置県により古河藩領であった野木町域は古河県に属す。
11月14日(12月25日) - 府県統廃合により古河県が廃止され、寒川・都賀郡の栃木県への移管決定。
明治5年(1872年)
正月27日(3月6日) - 野木町域の旧古河県より栃木県への移管執行。
4月8日(5月14日) - 区画制定により、野木町域は第一区に編入。
5月7日(6月12日) - 区画改定により第二六区となる。野木宿に御用取扱所設置。
1873年(明治6年)新暦
3月 - 栃木県内の中小学区決定により、野木町域は第三十八番中学区二〇三番から二一〇番小学区になる。
8月 - 大区小区制施行により栃木県七大区第一〇小区となる。
9月10日 - 乾時学舎開校。
1876年(明治9年)4月 - 友沼村を区画整理により第一大区第六小区と改める。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、栃木県都賀郡を下都賀郡と上都賀郡に分割。野木町域は下都賀郡に属す。
1879年(明治12年)8月16日 - 友沼村に郵便取扱事務所を置く。
1887年(明治20年)4月1日 - 小学校令により野木町域は十二学区二五番学区となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い友沼村、野木宿、野渡村、南赤塚村、中谷村、丸林村、潤島村、佐川野村、川田村、若林村の10ヶ村を合併し、下都賀郡野木村となる。友沼宿通り107番地(法音寺境内)に役場設置。
1890年(明治23年)12月19日 - 村役場を大字丸林字茶塚に移転する。
1931年(昭和6年)5月16日 - 友沼郵便取扱所が開設される。
1934年(昭和9年)9月11日 - 野木村に電話開通する。
1947年(昭和22年)11月 - 野木村立野木中学校発足。
1963年(昭和38年)
1月1日 - 町制施行。下都賀郡野木町となる。
2月16日 - 国鉄東北線に野木駅設置。栃木県内初の橋上駅。
1973年(昭和48年)8月20日 - 町役場を現在地に新築移転。
1982年(昭和57年) - 野木ローズタウン分譲開始。
1985年(昭和60年)3月30日 - 町民歌「野木町賛歌 ふれあいの町」(作詞・新井清時、補作・なかにし礼、作曲・すぎやまこういち)および町民音頭「野木町音頭」(作詞・なかにし礼、作曲・猪俣公章)を制定。両曲とも森昌子の歌唱でレコードが製造された。
1988年(昭和63年)10月4日 - 野木町立図書館開館。
1992年(平成4年)- 第1回ひまわりフェスティバル開催。
2004年(平成16年)2月1日 - 小山市と境界変更。
2016年(平成28年)5月10日 - 旧下野煉化製造会社煉瓦窯が野木町交流センター“野木ホフマン館”として開館。
江戸期には古河藩に属し、「古河の3宿」の1つ、日光街道の野木宿として発展を見た。しかし領域は古くから泥湿地であり、なかなか人口の集積は起こらなかった。東北本線(宇都宮線)の野木駅ができたのも1963年と、同線の中では歴史が浅く、かつては陸の孤島と呼ばれたほどである。
野木ローズタウンの分譲が開始された1980年代からは野木駅やローズタウンを中心に東京方面への通勤者を抱えるベッドタウンが形成されている。平成17年国勢調査に基づいたデータでは栃木県の市町村で唯一東京都市圏(都市雇用圏)に属すなど雇用の都心志向がみられる。なお、平成22年国勢調査に基づいたデータでは古河都市圏に組み込まれている。
栃木県内の自治体で、1889年の町村制施行以降において一度も市町村合併を経験していないのは野木町だけである。背景には、隣接する茨城県古河市との関係性もあるとされ、昭和の大合併においても間々田町(現・小山市)との合併計画があったが、古河市への依存度が高いこともあり、実現しなかった。