根室市: 歴史
=== 有史来 ===
寛政2年(1790年)に松前藩の運上所がノッカマップ(現:根室市牧の内)から根室に移ったのが、集落の起源となった。根室は「子モロ」(子はネの変体仮名)「根諸」などと書き、河口に流木が寄り集まる小川からとられたという。また、アイヌ語のニムオロ(木の繁るところ)からとられたという説もある。根室の前に運上所があったノッカマップは、前年のクナシリ・メナシの戦いの首謀者が処刑された場所であった。そのせいでアイヌに嫌われたノッカマップを避けたのが、移転の理由であったという。
寛政11年(1799年)に東蝦夷地が天領になると、根室の運上所は根室会所と改められた。
文政4年(1821年)12月7日には松前藩領に復し、南部藩、津軽藩兵を撤退させる。これによりネモロ(根室)は松前藩に復す。
安政2年(1855年)に再び天領となった際、3月27日にシラオイおよびシレトコ(知床)まで及びクナシリ(国後島)、エトロフ(択捉島)の警備を任された仙台藩が出張陣屋を築き警固を行った。
明治2年(1869年)8月、北海道11ヶ国86郡が制定され、今の根室市に相当する地域は根室国に含まれ花咲郡と根室郡が置かれた。
明治2年(1869年)10月に開拓使の根室出張所が置かれ、明治3年6月東京府に編入され同年10月19日付けで根室国3郡の東京府管轄を廃止する。明治4年(1871年)5月に根室出張開拓支庁と改称、明治5年(1872年)9月から根室支庁と改称した。これら官庁は東北海道の行政を統括する役目を持っていた。1882年(明治15年)から1886年(明治19年)までは、根室県の県庁所在地であった。1886年(明治19年)1月に北海道庁が設置されると、根室県は廃止され、12月まで一時的に根室支庁が置かれた。1897年(明治30年)に、今までのものよりずっと狭い根室支庁が置かれると、その所在地となって今日に至る。
明治初めの根室は北海道東部最大の町であった。周辺の海域で働く漁業労働者の一時的な滞在地で、人口の季節変動が大きかった。1877年(明治10年)に漁場持制が廃止され、少数商人の支配がなくなると、根室に永住する人も増え、商店が並ぶようになった。
戦前戦後は国内有数の水産都市として発展した。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)にはアメリカ軍による軍事攻撃があり、同年7月14日の北海道空襲の際には死者369人を出した。根室市内の大半が焼失し壊滅的被害を受けたが戦後になり復興した。1957年(昭和32年)に根室郡和田村と合併し市制を施行、1959年(昭和34年)に花咲郡歯舞村を編入合併した。
明治2年(1869年)9月、開拓使の松本判官が属僚とともに移住民130人を率いて来住し、開拓使役所を根室に置く。和田地区が根室開拓使役所の管轄となる。
1880年(明治13年)7月15日 - 戸長役場が置かれる。
1892年(明治25年) - 清隆寺を開く。
1900年(明治33年)7月1日 - 根室町に一級町村制施行。
1916年(大正5年)1月16日 - 落石岬に設置された無線局とカムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーの無線局間において無線電信が開通。
1931年(昭和6年)8月24日 - リンドバーグ夫妻が北太平洋を飛行機で横断し根室に到着した。
1936年(昭和11年)9月28日 - 昭和天皇の市内巡幸。根室北斗尋常高等小学校に奉迎場が設けられた。
1957年(昭和32年)8月1日 - 根室郡根室町・和田村が新設合併し、根室市が発足(北海道内23番目、全国501番目)。同時に根室郡が消滅。
1959年(昭和34年)4月1日 - 花咲郡歯舞村を編入する。これにより、花咲郡が消滅。
1968年(昭和43年)
8月1日 - 開基100年記念事業を実施する。同時に市民憲章と市章を制定。
10月21日 - 旧根室県庁に開道百年の記念標柱が建立される。
1969年(昭和44年)3月28日 - 根室市百年記念事業推進委員会で市のシンボルを決める(市花「ユキワリコザクラ」、木は「千島桜」、鳥は「白鳥」、スポーツは「卓球」)。
2024年(令和6年)5月7日 - 根室市役所新庁舎開庁式。
2026年(令和8年)4月16日 - 歯舞湿原で火災が発生。約400haが焼失した。湿原は国内で唯一のブランケット型泥炭地であり。2023年(令和5年)に市天然記念物に指定されていた。