Heimatgeschichte · Nasukarasuyama ·

那須烏山市: 歴史

那須烏山市: 歴史

=== 鎌倉時代から江戸時代まで ===
1213年 - 1218年(建保年間) 那須十郎が越前国より紙漉き職人を招き、程村紙(ほどむらし=厚手の和紙、程村は現那須烏山市下境地区にあった地名に由来、和紙伝来の起源は諸説ある)を創製。程村紙(烏山和紙ともいう)は国選択の無形文化財であり、今日でも地元学校の卒業証書等には透かし入りの程村紙が使用されている。
1418年(応永25年) 沢村五郎資重が稲積城から烏山城址(寿亀山:現在の那須烏山市城山)に烏山城を築いたのがこの町の始まりである。
1560年(永禄3年) 領内に疫病が流行、時の烏山城主・那須資胤(すけたね)が八雲神社に病魔退散を祈願。祭礼に際し、奉納余興を行う。今に伝わる山あげ祭が始まる。
1590年(天正19年) 成田氏長が、武蔵国忍(現在の埼玉県行田市)から2万石で入封し烏山藩が立藩、以後領主は次々と替わることになる。
1600年(慶長5年)大田原氏の一族大田原増清により交代寄合として、現那須烏山市森田地区に森田陣屋が築かれた。
1725年(享保10年)10月 大久保常春が烏山藩に2万石(1728年(享保13年)に1万石加増し3万石となる)で入封し、その後1869年(明治2年)の版籍奉還まで8代続く。本領のほか相模国にも飛地領を配し、相模国厚木村(現在の神奈川県厚木市の一部)は烏山藩(大久保氏)の支配となり、同所にも役所が置かれた(厚木陣屋)。
1836年(天保7年) 烏山藩の借財は34,000両余に達し(『相模原市史』)、窮状に陥る。翌1837年(天保8年)、二宮尊徳を招聘、天性寺境内にはお救い小屋が設置され、延べ1万余人が救済されるものの藩の復興はままならなかったという。

1871年8月29日(明治4年7月14日) 廃藩置県で烏山藩は廃藩となり、一時烏山県となったが、同年12月25日(11月14日)に宇都宮県に編入。
1986年(昭和61年)8月 那珂川洪水により、市内の宮原地区、向田地区など大被害。
2005年(平成17年)10月1日 - 那須郡烏山町・南那須町の新設合併により、那須烏山市発足。
南那須地区(旧南那須町、小川町、馬頭町)では、古来から経済的・地域的なつながりが深いことから、平成の大合併にあわせて地区合併協議会を設置した。一度は合併で合意し、公募により「那須南市」の新市名も決定された。しかしながら、市役所庁舎の建設計画などで対立が顕在化し、2004年(平成16年)10月30日に4町合併協議会は解散、広域合併構想は頓挫した。その後、那須烏山市発足と同じ年に小川町と馬頭町が合併し、那珂川町が発足している。
2006年(平成18年)9月 旧境中にて、映画「檸檬のころ(岩田ユキ監督、豊島ミホ原作)」のロケ撮影。地元中学生もエキストラとして出演(2007年(平成19年)公開)。
2012年(平成24年)8月1日 - さくら市と境界変更。
2019年(令和元年) - 令和元年東日本台風で那珂川が氾濫。後に、一部地域で防災集団移転促進事業が進められる契機となった。
2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症対策のため、小・中、高等学校の臨時休校が行われた。また、山あげ祭りなどの多数の人が集まるイベント等が中止になった。

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Quelle: Text: Wikipedia – „那須烏山市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Yoshiaki Yamaguchi, CC BY-SA 2.0 – Wikimedia Commons