伊佐市: 歴史
=== 伊佐市発足以前 ===
大口地方は、古くから牛屎院、牛山院と呼ばれていた。永禄12年(1569年)に新納忠元が大口地頭となった前後の頃から大口と呼ばれるようになる。その後島津氏の直轄地となり明治維新を迎え、明治20年には郡役所が大口に設置され、明治22年には市町村制実施により大口村・山野村・羽月村となる。さらに大正7年には大口村が、昭和15年には山野村が町制を施行する。その後、昭和29年には伊佐郡の内、大口町・山野町・羽月村そして西太良村が合併して大口市として発足。菱刈地方は、続日本紀の天平勝宝7歳(755年)五月の項に「大隅国菱苅村」に郡家を建てることを許可した旨の記録がある。本城・馬越・湯之尾・曽木をもって太良院と言われていた。その後廃藩置県により鹿児島県に所属し、明治22年の市町村制実施により菱刈村と太良村ができる。明治24年太良村は東太良村と西太良村に分割され、さらに大正14年に東太良村を本城村と改名。昭和15年には菱刈村が町制を実施し、昭和29年には菱刈町と本城村が合併し、菱刈町となる。
「平成の大合併」の動きにあわせ、2000年代初頭に大口市と菱刈町で合併協議会を立ち上げ、新市名を「伊佐市」と決定したが、菱刈町で実施された住民投票において反対が賛成を上回ったために合併は実現せず、2005年(平成17年)5月に合併協議会も解散した。その後、両自治体では2006年(平成18年)8月28日に改めて伊佐地区合併協議会を立ち上げ、新市名を前代の協議会と同じく「伊佐市」とする新設合併で合意に至った。2007年(平成19年)12月26日には鹿児島県知事より廃置分合(合併)決定書の交付、2008年(平成20年)1月30日に総務大臣による告示を経て同年11月1日に合併した。
2008年(平成20年)11月1日 - 大口市と伊佐郡菱刈町が合併して「伊佐市」が発足した。これに伴い、伊佐郡は消滅した。