入善町: 歴史
=== 舟見町編入と市制施行の試み ===
出典:
1953年の新設合併により、入善町の人口は2万8568人となった。当時の地方自治法では人口3万人で市制できた。
旧野中村では、朝日町との合併派と舟見町との合併派の意見が一致しないまま朝日町に編入し、編入後も分町議論があった。また、当時舟見町は昭和の大合併を行っていなかった。この2町村を合併し、市制の人口要件を満たす運動が始まった。旧野中村での議論が長引いたが、飛地合併が法的に認められておらず、先に舟見町だけを編入することも叶わなかった。
1959年1月1日、朝日町(旧野中村)大字野中・島迷・今江・二ツ屋・西中・林尻・古畑の全域、大字中沢・藤塚・下野の一部を舟見町に編入し、同日舟見町を入善町に編入した。これにより入善町の人口は3万6472人となり、黒部市市制施行時の3万2329人を超えた。しかし、1958年9月以降は法改正により市制条件が人口5万人となっていたため、市制施行には至らなかった。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、下新川郡入膳村、入膳新村、元青島村、君島村及び神林新村の区域をもって、下新川郡入善町が発足する。当時の村の面積は6.14 m2。
1935年(昭和10年)10月3日 - 東洋紡績(現・東洋紡)入善工場の落成式を挙行。
1953年(昭和28年)10月1日 - 下新川郡入善町、上原村、青木村、飯野村、小摺戸村、新屋村、椚山村及び横山村が合併して、下新川郡入善町が発足する。当時は県内最大規模の町であった。
1956年(昭和31年)5月10日 - 財政再建団体となる。
1959年(昭和34年)1月1日 - 下新川郡舟見町を編入する。
1963年(昭和38年)1月 - 昭和38年1月豪雪により入善町内で4億3000万円の被害を出す。
1970年(昭和45年)1月31日から2月2日 - 昭和45年1月低気圧により寄り回り波が発生し、隣接市町と合わせて海岸の堤防約560メートルが決壊。
1971年(昭和46年)4月27日 - 入膳3255番地に町役場が完成し、同年5月8日に竣工式(鉄筋コンクリート造4階建て、延床面積4,125 m2)。
2008年(平成20年)2月24日 - 寄り回り波により、芦崎地区で死者1名、重軽傷者15名、沿岸部の住家全壊4棟、半壊7棟の被害を出す。
2024年(令和6年)5月26日 - 入善町中央公園北側に新庁舎が完成し竣工式が行われる。また、同年5月27日より業務が開始される。