Heimatgeschichte · Matsuura ·

松浦市: 歴史

松浦市: 歴史

律令制下では肥前国松浦郡の区域とされた。平安時代後期の延久元年(1069年)、源氏(嵯峨源氏)の流れを汲む源久が松浦郡宇野御厨の検校となり、現在の市域にあたる梶谷に住み松浦久と名乗り、太夫判官と称して松浦郡・彼杵郡の一部及び壱岐郡を治めた。この松浦久のもとで松浦党と呼ばれる武士団が結成された。松浦党は水軍として有名で、元寇でも活躍している。
江戸時代には藩庁は置かれなかった。その後は当地を含む北松浦半島一帯(離島部を含む)で石炭の存在が発見され、明治時代から戦後にかけて石炭産業(北松炭田)で栄え、最盛期にあたる1955年(昭和30年)の国勢調査では人口44,057人を数えた。
そうした中で炭鉱事故も発生し、1958年(昭和33年)5月7日、中興鉱業㈱江口鉱業所では地下200m地点で出水、作業員29人が死亡する事例もあった。
1960年代以降のエネルギー革命で炭鉱はすべて閉山し、それ以降は戦前から続く漁業のほか火力発電所の建設で産業基盤の維持を図っているが、依然として人口減少が続いている。

1889年4月1日 町村制施行により、 北松浦郡のうち現在の市域にあたる以下の村が発足。()は合併を行った村。それ以外は単独村制。
志佐村
上志佐村(← 高野村・横辺田村)
御厨村(← 御厨村・大崎村・田代村)
星鹿村
調川村
今福村
福島村
鷹島村
1922年11月1日 志佐村が町制を施行し、志佐町となる。
1929年4月1日 今福村が町制を施行し、今福町(いまぶくまち)となる。
1930年3月21日 鉄道省伊万里線伊万里 - 楠久間が開業し、現市域内に初の鉄道路線が開通。
1941年1月1日 御厨村と星鹿村が新設合併、同時に町制を施行し、新御厨町となる。
1949年1月1日 調川村が町制を施行し、調川町となる。
1951年1月21日 福島村が町制を施行し、福島町となる。
1954年4月1日 志佐町と上志佐村が新設合併により改めて志佐町となる。
1955年3月31日 北松浦郡志佐町・新御厨町・調川町が新設合併、同時に市制を施行し、松浦市(旧)となる。
1955年4月15日 今福町が松浦市に編入される。今福町の読みは「いまふくちょう」。
1975年1月1日 鷹島村が町制を施行し、鷹島町となる。
1976年8月4日 集中豪雨で市内が冠水、約70戸が床上浸水した。今福町では民家の裏山が崩れ1人が負傷。
1988年4月1日 当市内を通る松浦線が第三セクター鉄道の松浦鉄道西九州線に転換される。
2006年1月1日 松浦市・福島町・鷹島町が新設合併により松浦市(現行)となる。
2019年4月27日 「アジフライの聖地」を宣言。

von Fremdinhalte · Regionauts

Quelle: Text: Wikipedia – „松浦市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: そらみみ, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons