上牧町: 歴史
古代、大和国葛下郡の地。
「上牧」の名の由来は、当町が緩やかな丘陵地帯で放牧に適した土地であったことからその名がついたとされている。戦国期には下牧地区に片岡城が築かれた。
上牧村は元和5年から明治4年まで大和郡山藩領であり、享保9年の『郷鑑』によると、村高801石8斗6升3合、新村・五軒屋・三軒屋・「穢東山」の各枝郷を有している。1889年の市制町村制実施により、上牧村・下牧村・中筋出作方が合併し、上牧村が誕生すると、東山村は葛下郡上牧村大字上牧の一集落となる。同地には18世紀後半から農業以外に博労や大和川水運の積荷運送に携わる人々が増加しており、幕末には履物の生産が始まっていた。その人口増加率をみると、享保9年の人口は146名であったのが、約140年後の1867年には731名、1873年には146戸766名と、約5倍に増加した。
1960年代より西大和ニュータウンの開発が始まり、西名阪道路の開通も相まって、人口が急増。近年では友が丘・緑ケ丘・葛城台などの新しい住宅地も開発されているが、先述の西大和ニュータウン区域(特に開発が早かった片岡台周辺)では住民が高齢化しており、人口そのものはほぼ横ばい状態となっている。しかし、人口密度は依然高く、奈良県で大和高田市に次いで第二位である。
1869年(明治2年)6月 - 版籍奉還により、上牧村・下牧村の2村と中筋出作が、それまでの郡山藩に引き続き、郡山県の治下に入る。
1871年(明治4年)11月 - 廃藩置県により、奈良県が成立。上牧村・下牧村と中筋出作は奈良県葛下郡の下に置かれる。
1888年(明治21年)8月 - 県から町村合併案を示されるが、上牧村は片岡村(北は上牧村から南は良福寺村まで)となり、下牧村は王寺村となっていたことに両村が反対。上牧・下牧・中筋出作の合併案を上申した。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、前記上申通り、葛下郡上牧村・下牧村・中筋出作の区域をもって上牧村が発足。村役場として、それまでの戸長役場(大字上牧378番地)があてられる。
1897年(明治30年)4月1日 - 葛下郡上牧村の所属郡が北葛城郡に変更。
1919年(大正8年)9月 - 上牧村役場が大字上牧378番地(南上牧)から大字上牧1875番地(三軒屋)に移転する。
1953年(昭和28年)4月 - 村が財政再建団体に指定される。
1972年(昭和47年)12月1日 - 上牧村が町制施行して上牧町となる。
1975年(昭和50年)8月 - 町役場新庁舎が現在の場所に開庁する。
== 行政 ==
町長:阪本 正人
町議会:12名(無所属7、公明党2、日本共産党2、自由民主党1)(2017年5月15日改選)
なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第2区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「北葛城郡選挙区」(定数:3)となっている。