砥部町: 歴史
※旧広田村時代の同地域の歴史については広田村の記事を参照。
古代
6世紀初め頃 原町地域に点在する群集古墳の代表的なものに大下田(おおげた)古墳群があり、この頃から政治・経済・文化が進んでいたことがうかがえる。
747年(天平19年) 法隆寺文書に砥部荘の名が見られる。
760年(天平宝字4年) 正倉院文書に伊予砥3顆が課せられたとある。
延喜式に伊予砥5顆が納められたとある。
伊予砥は当町外山産の砥石をさすものと考えられる。
中世
河野氏の支配下に属したが、後期には長宗我部氏の進攻を受けた。
近世
江戸時代 初期は加藤嘉明の松山藩に属した。
1635年(寛永12年)8月 松山藩と大洲藩との替地により大洲藩の所領となる。
砥部焼が振興される。
新谷藩の成立により大南・岩谷口・大平・下麻生が新谷藩の所領となった。
近代
1889年(明治22年) 町村制施行にともない下浮穴郡砥部村、原町村、広田村が成立。
砥部村 - 外山村、北川毛村、五本松村、大南村、岩谷口村、大平村、川登村、万年村が合併
原町村 - 麻生村、宮内村、千足村、川井村、七折村、大角蔵村が合併
広田村 - 多居谷村、猿谷村、総津村、中野川村、高市村、玉谷村、満穂村、栗田村が合併(旧栗田村地区は1929年(昭和4年)、中山町へ編入)
1897年(明治30年) 3村とも下浮穴郡より伊予郡に郡域変更。
1928年(昭和3年) 砥部村が町制をしき砥部町となる。
1955年(昭和30年)3月31日 砥部町と原町村が合併し砥部町となる。
以上、砥部町(旧)「砥部町のすがた」ほかによる
新町後
2005年(平成17年)1月1日 (旧)砥部町、広田村が合併し、新しい砥部町となった。