福崎町: 歴史
=== 古代~近世 ===
奈良時代初期の養老4年(西暦換算〈以下同様〉:720年)頃に編纂された『播磨国風土記』で、播磨国神前郡(かむさきのこおり)と記された当時の神崎郡には5つの里があったと記録されており、北から順に、埴岡の里(現・神河町および朝来市生野町の比定地)、川辺の里(現在の市川町の川東の比定地)、高岡の里(現在の福崎町の川西の比定地)、的部(いくはべ)の里(現・姫路市香寺町の比定地)、多駝(ただ)の里(現在の姫路市船津町・山田町、および、福崎町の川東の比定地)、陰山の里(現・姫路市豊富町比定地)があった。
正暦2年(991年、平安時代後期) - 一条天皇の勅願寺として神積寺が開創。
中世 - 荘園・田原荘が置かれた。町域内の荘園のうち代表的な田原荘は、皇室領から九条家領へと移るが、のち播磨全域を席巻した赤松氏らに押領された。高岡荘は国衙領から摂関家・九条家の所領となった。
羽柴秀吉の播磨平定後は秀吉の蔵入地となった。
慶長5年(1600年、安土桃山時代末) - 関ヶ原の戦いでの戦功により、池田輝政が姫路に入封し、姫路藩が成立。当地域はその所領となる。
元和3年(1617年、江戸時代初期) - 本多忠政が姫路に入封し、本多家の姫路藩が始まる。
寛永16年(1639年) - 本多政勝が大和郡山藩へ転封、これよりのちは奥平松平家・榊原家・本多家(再封)・越前松平家という譜代・親藩の名門が入れ代わり立ち代わり姫路藩を治めることとなる。
寛延2年5月22日(1749年7月6日、江戸時代中期) - 酒井忠恭が入封し、酒井家の姫路藩が始まる。
1894年(明治27年)7月26日 - 播但鉄道が開通し、福崎村に福崎駅が置かれる。
1896年(明治29年)4月1日 - 福崎村の所属郡が神崎郡に変更される。神崎郡役所は市川の東岸の田原地区に置かれて郡の中心となった。
1957年(昭和32年)7月10日 - 町章を制定。
1972年(昭和47年)12月 - 町木・町花を制定。
1985年(昭和60年)11月22日 - 町民憲章を制定。
1987年(昭和62年)7月21日 - 町歌の制定。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、神西郡山崎村・福田村・馬田村・新村・西治村・西谷村・高橋村の区域をもって福崎村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が神崎郡に変更。
1925年(大正14年)12月1日 - 町制を施行して福崎町となる。
1956年(昭和31年)5月3日 - 福崎町・田原村・八千種村が新設合併し、改めて福崎町が発足する。