北方町: 歴史
1456年(康正2年) - 足利義政袖判御教書案に美濃国北方郷の文字が見られる。
1668年(寛文8年) - 加納藩主松平光永が遺領を継ぎ、その際、弟戸田光直に5000石を分与し、旗本北方戸田氏知行地となる。
1682年(天和2年) - 加納藩領内で(旗本文殊戸田氏、同北方戸田氏知行地)年貢軽減のための騒擾が発生する。北方村では庄屋ら4人が斬罪となる。
1756年(宝暦6年) - 加納藩主安藤信成が磐城平へ移封され、高屋、柱本、芝原の各村が幕府領(大垣藩預所)となる。
1765年(明和2年) - 大垣藩領の百姓一揆があった(盛枡騒動)。
1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により、北方村に本巣、席田両郡の郡役所が設置される。
1884年(明治17年) - 柱本、高屋他4ヵ村、加茂、芝原他9ヵ村がそれぞれ組合戸長役場を設置。
1889年(明治22年) - 北方村が町制を施行して北方町が発足。本巣郡最初の町となった。
1891年(明治24年) - 濃尾地震により北方町では約80%の家屋が倒壊し(全壊602戸、半壊85戸)、死者95人・負傷者225人の被害を出す。
1910年(明治43年) - 皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が北方町を訪問。
1914年(大正3年) - 忠節 - 北方間において岐北軽便鉄道が開通する。
1955年(昭和30年)4月1日 - 生津村の柱本、高屋両地区が北方町と合併する。
1956年(昭和31年)9月2日 - 席田村の加茂、芝原両地区が北方町と合併する。
1968年(昭和43年) - 北方町制施行80周年記念式典を開催。
1976年(昭和51年) - 皇太子明仁親王及び皇太子妃美智子が献血視察のため北方町を訪問。
1989年(平成1年) - 北方町制施行100周年記念式典を開催。
2002年(平成14年) - 穂積町・巣南町・北方町の3町で第1回合併協議会を開催するも、後に北方町は離脱。
2003年(平成15年) - 岐阜広域合併協議会を開催。
2016年(平成28年)5月6日 - 北方町役場が新庁舎に移転。
== 人口 ==