豊能町: 歴史
=== 年表 ===
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1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、能勢郡余野村・川尻村・木代村・切畑村・野間口村の区域をもって東能勢村が発足(町村合併標準により一町村300から500戸を標準としたことによる)。川辺郡吉川村の所属が能勢郡に変わる。
1896年(明治29年)4月1日 - 能勢郡東能勢村の所属郡が豊能郡に変更。
1923年(大正12年) - 能勢電気軌道(現・能勢電鉄)一の鳥居駅・妙見駅(現・妙見口駅)間延伸。
1955年(昭和30年)4月15日 - 東能勢村が茨木市の一部(大字高山)を編入。
1956年(昭和31年)9月30日 - 東能勢村が吉川村と合併し、改めて東能勢村が発足。当時の人口約4000人。
1958年(昭和33年)4月1日 - 東能勢村が京都府亀岡市の一部(西別院町牧・寺田の大部分)を編入。
1968年(昭和43年) - 能勢電気軌道ときわ台駅開業、ときわ台駅前住宅入居開始。
1974年(昭和49年) - 能勢電気軌道光風台駅開業。
1975年(昭和50年) - 光風台住宅入居開始。
1977年(昭和52年)4月1日 - 東能勢村が改称・町制施行して豊能町となる(人口8000人を超え、大阪府の「町としての要件に関する条例」の人口要件に達したことによる)。
1981年(昭和56年) - 東ときわ台竣工。
1984年(昭和59年) - 希望ヶ丘竣工。
1988年(昭和63年) - 新光風台竣工。
1993年(平成5年) - ユーベルホール竣工。
1996年(平成8年) - スポーツセンターシートス竣工。
2007年(平成19年) - 町制30周年。止々呂美東西線の開通により、東西地区の移動距離が大幅に短縮される。
2022年(令和4年)4月1日 - 過疎地域に指定。能勢町と同時で、大阪府内では3番目。
大阪府は町村合併促進法(1953年(昭和28年)に制定)」に基づき、旧能勢郡に属する奥能勢6村(東能勢・吉川・田尻・歌垣・東郷・西能勢)を1村とする方針を定めた。当初より段階的な統合を検討しており、その第一段階として東能勢村と吉川村の合併が考えられていた。1955年には両村会議長が府に対して、両村を結ぶ道路を作るか、野間峠に新トンネルの建設を陳情している。しかし期限切れの直前となる9月11日の会合で、新村の仮庁舎をどこに設置するかで紛糾し、6村合併は頓挫した。自村への設置に拘り紛糾の元となった東郷村長は引責辞職を表明し、合併から離脱した。
残る5村は、13日に協議会を開き東能勢村・吉川村が新・東能勢村に、西能勢村・歌垣村・田尻村が能勢村(後の能勢町)として合併することで合意、期限切れ当日の9月30日に施行された。なお、合併から取り残された東郷村も1959年(昭和34年)に能勢町へ編入された。その後は能勢町及び箕面市止々呂美地区と東地区の親交が深かったため箕面市とも合併構想を検討していたが、いずれも進展なく終わっている。
合併による新・東能勢村の成立以前にも1895年(明治28年)には(東西連絡で府県境越えとなる部分である)兵庫県川西市黒川地区を吉川村に合併する話が持ち上がったが、見送られた。
「平成の大合併」では、飛地となる池田市との合併をも検討されたが不調に終わった。