御嵩町: 歴史
かつて御嵩地区南山付近に御嵩城、顔戸地区に顔戸城があり、近世には中山道の宿場町である御嶽宿と伏見宿があった。
明治・大正期は、郡役所、警察署が置かれ、加えて美濃東部では初めての旧制中学校(現在の岐阜県立東濃高等学校)が設置されるなど、可児郡の中心地であった。
1879年(明治12年) - 可児郡が発足し、御嵩に可児郡役所が設置される。現在の御嵩町、可児市以外に、旧可児郡の町村だった多治見市の土岐川北岸などの地域を管轄。
1889年(明治22年) - 町村制施行により、可児郡御嵩村の区域をもって御嵩町が成立。
1955年(昭和30年)
2月1日 - 中町・伏見町・上之郷村と新設合併し、改めて御嵩町が発足。
4月1日 - 大字中恵土を可児町へ編入。
1957年(昭和32年)4月1日 - 土岐市の一部(泉町定林寺字次月)を編入。
1985年(昭和60年)- 御嵩警察署が可児市へ移転。
=== 産業廃棄物処理場問題 ===
御嵩町では1991年以降、産業廃棄物処分場計画で大きく揺れ動き、1996年には反対派町長への盗聴事件や町長襲撃事件が発生した。産廃処分場計画との関連性が指摘され、盗聴事件については2グループ11人が検挙されたが、襲撃事件については犯人が特定できないまま2011年10月に襲撃事件の公訴時効が成立。なお、同計画は頓挫し、2008年3月、寿和工業が県に提出していた処分場建設の許可申請を取り下げることで決着した。
1991年8月- 産業廃棄物処理業者である寿和工業株式会社(としわこうぎょう、本社:可児市。現:株式会社フィルテック)が、御嵩町に産廃処分場の建設を計画。
1992年10月- 町が岐阜県に「不適当な施設」と意見書報告。
1995年2月- 町と寿和工業が、住民への説明なしに振興協力金名目で35億円の支払を盛込んだ協定を締結。
1995年2月- 町が県への意見書を「やむを得ない」に変更。
1995年4月- 町長選で、処分場反対派の元NHK解説委員・柳川喜郎が初当選。
1995年9月- 町が県に許可手続きの一時凍結を要請。
1996年10月- 御嵩町長襲撃事件が発生。処分場反対派の町長が一時意識不明の重体となる。
1996年12月- 住民請求により、産廃処分場建設の賛否を問う住民投票条例制定を直接請求。
1997年1月- 御嵩町議会、住民投票条例案を可決。
1997年6月- 産廃処分場計画を争点に日本国内では初となる住民投票を実施。投票率87.50%、反対79.65%と、反対派が圧勝。
1997年6月~7月- 柳川町長宅電話盗聴容疑等で岐阜県警が興信所所長らを逮捕。
1997年7月- 町が県に「住民投票の結果を尊重する」と伝える。
1998年6月~7月- 別の盗聴グループを岐阜県警が逮捕。
1998年11月- 町などの呼びかけで「全国産廃問題市町村連絡会」設立。
2005年4月- 古田肇岐阜県知事が、柳川町長と会談(知事と町長の会談は10年ぶり)。
2007年3月- 柳川町長が次回町長選に出馬しないことを表明。
2007年4月- 建設反対派で柳川が支援した渡辺公夫が新町長に当選。
2007年4月- 古田知事・柳川町長・清水寿和工業社長が県庁にて三者会談。
2008年3月- 古田知事・渡辺町長・清水寿和工業社長が県庁にて三者会談。寿和工業が県に提出していた処分場建設の許可申請を取り下げることで合意。