河北町: 歴史
平安時代、摂関家領であった寒河江荘の一部(北寒河江荘)であり、鎌倉時代に入ると大江氏の流れを汲む寒河江氏が地頭として領した。町内には谷地八幡宮・溝延八幡宮が建てられ、寒河江八幡宮とともに「寒河江荘三八幡」と称された。大江氏の相続問題により北寒河江荘は北条氏領や円覚寺領となり、南北朝時代中条氏領となる。中条氏は谷地城(現三社宮)を築城する。中条氏が途絶えると、大江氏の流れを汲む北方の土豪、白鳥氏が谷地城に入った。城を中心に今の街割が作られたが、最上義光によって白鳥氏は滅ぼされてしまい、その後、最上氏改易まで最上領(蔵入地)となった。
最上氏が改易になると谷地城は廃城となり、河北町域は天領、新庄藩領に分割統治された。うち新庄藩は谷地市街北部までを領し、北口番所を置いて、現河北町北部と村山市西部を治めた。
1954年(昭和29年)10月1日 - 谷地町、西里村、溝延村、北谷地村を廃し、河北町新設
1955年(昭和30年)12月31日 - 寒河江市より、元泉地区を編入
1963年(昭和38年)8月1日 - 村山市より、寄込地区(荒小屋地区)を編入