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河合町: 歴史

河合町: 歴史

古代の大和国広瀬郡の地であり、延喜式内廣瀬神社が鎮座し、川合大塚山古墳群・馬見丘陵古墳群など遺跡も豊富である。11世紀から14世紀にかけては、同地に東大寺領荘園小東荘があった。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、広瀬郡川合村・長楽村・穴闇村・池部村・沢村・佐味田村・山坊村・大輪田村・城内村・西穴闇村・寺戸村・大野村・薬井村の区域をもって河合村が発足。
1892年(明治25年)2月12日 - 広瀬郡河合村の一部(大字沢・大野・寺戸)が箸尾村に編入。
1897年(明治30年)4月1日 - 広瀬郡河合村の所属郡が北葛城郡に変更。
1971年(昭和46年)7月1日 - 村章を制定。
1971年(昭和46年)12月1日 - 河合村が町制施行して河合町となる。
2003年に河合町・王寺町・上牧町・斑鳩町・三郷町・平群町・安堵町の7町を合併し、西和市とする計画があったが、王寺町・斑鳩町の住民投票で反対多数となり合併はされなかった。

== 行政 ==
町長:森川喜之
なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第2区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「北葛城郡選挙区」(定数:3)となっている。

河合町役場は奈良県北葛城郡河合町池部1丁目1番1号に所在する。近鉄田原本線池部駅下車徒歩1分。同一敷地内には、老人福祉センター(森本千吉旧邸・役場旧庁舎)、セミナーハウスなどがある。
町役場の敷地は、もともと「豆山荘」(まめやまそう)と呼ばれる邸宅地であり、日本庭園(池泉回遊式庭園)がある。役場の正門は大正時代に建築された木製瓦葺の屋敷門で、「河合町役場」と墨書された木の看板がかけられており、門の両脇には阿吽一対のライオンのレリーフを施した石が配置されている。門から庁舎まではゆるやかな上り坂となっており、庭園を通って庁舎に入ることになる。「町役場の門とは思えない」光景はメディアにしばしば取り上げられ、また町の側もその珍しさを自任している。『河合町史』には「全国でも珍しい存在」との記載があり、町が選定した人気のある名所「河合八景」の一つにも「役場の古い門」が選ばれている。
「豆山荘」は、田原本線の前身となった鉄道を敷設した大和鉄道の創業者・森本千吉によって、大正時代(阿吽のライオンには大正12年(1923年)の文字が刻まれている)に作られた邸宅である。1937年に森本が没したのちは、地元財界人の吉川京松が譲り受けて管理していた。「豆山」とは、馬見丘陵一帯をさす通称である。1948年、中学校建設に伴って村役場の移転が必要となった際、当時の村長は吉川に「豆山荘」に役場を移転する要望を出した。吉川は快諾し、同年町に「豆山荘」を譲渡した。以後、「豆山荘」森本千吉旧邸(現在は老人福祉センター)が村役場として使用されるようになった。
1971年に町制が施行され河合町が発足すると、新庁舎が建設された(1975年完成)。この際に「豆山荘」の建物や庭の一部は撤去されており、往時の1/2~1/3程度の規模になっている。
正門は役場の開庁・閉庁時間に合わせて開閉するが(車の通行可能な入口は別に設けられている)、庭園は散策可能である。

2010年代以降、町の財政が極端に悪化。奈良県は2019年度の普通会計決算から5年連続で財政状況が悪いとして「重症警報」を発令し続けた。
奈良県は、財政健全化の推進に関する協定の締結及び財政支援を行うとともに、2023年には、県から町に対して副町長を派遣した。

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Quelle: Text: Wikipedia – „河合町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Tokumeigakarinoaoshima, CC0 – Wikimedia Commons