串間市: 歴史
=== 室町時代 ===
鎌倉幕府滅亡後、室町幕府に命令され、串間に地頭として野辺久盛が派遣された。在地豪族と戦い、制圧した。
建武3年(1336年)、野辺盛忠が冨山直顕諸族と共に櫛間城を攻める。
室町幕府3代将軍足利義満の子・義昭(ぎしょう)が現在の串間市北方にある永徳寺にて自刃した事件。室町最後の将軍である足利義昭とは別人であり、区別するために「大覚寺義昭」とも呼ばれる。室町6代将軍足利義教とは兄弟関係であるが、義昭は義教に謀反の疑いをかけられ京から逃れた。各地を転々とした後、日向国櫛間(今の串間)を治める野辺氏を頼って永徳寺に身を潜めるも居場所を突き止められ、嘉吉元年(1441年)3月13日義昭は永徳寺にて自刃した。永徳寺の敷地内には義昭の墓といわれる五輪塔が建てられている。
江戸時代は高鍋藩領で、飫肥藩と薩摩藩に挟まれた飛び地(櫛間領)であった。櫛間(串間)の統治に腐心した高鍋藩は、代官・郡代制度の上に更に都合職なるものをおいて、統治の強化を図った。
江戸時代の末期、串間から古代中国の王が権力の象徴として持っていたといわれる玉璧(ぎょくへき)が見つかったという記録がある。
1954年(昭和29年)11月3日 - 南那珂郡福島町、大束村、本城村、都井村、市木村が新設合併し、串間市が発足。