尾鷲市: 歴史
縄文時代より畿内や関東の文化の影響を受ける。
志摩国英虞郡
天正10年(1582年) - 紀伊新宮城主の堀内氏善と伊勢国司の北畠信雄が荷坂峠を境として、それぞれが紀伊国牟婁郡と伊勢国度会郡に編入したため、尾鷲は紀伊国牟婁郡となる
紀伊国牟婁郡奥熊野尾鷲組
寛文年間(1624年-1643年) - 土井新助が尾鷲に移住してスギ・ヒノキを植栽し、人工造林及び尾鷲林業の端を開く。
文化2年(1805年)6月19日 - 伊能忠敬が尾鷲・熊野の測量開始。
1944年(昭和19年) - 東南海地震で壊滅的な被害を受ける。
1951年(昭和26年)11月22日 - 昭和天皇が尾鷲高校、町営グラウンドに行幸(昭和天皇の戦後巡幸)。
1954年(昭和29年)6月20日 - 北牟婁郡尾鷲町、須賀利村、九鬼村、南牟婁郡北輪内村、南輪内村が合併し、尾鷲市となる。
1971年(昭和46年)9月10日 - 集中豪雨により土砂災害が発生。賀田町の土石流、古江町の山腹崩壊などでにより死者26人。
2010年(平成22年)4月1日 - 過疎地域自立促進特別措置法の適用を受けて過疎地域となる。
市名は「おわし」と読まれることもあるが、地元では本来「おわしぇ」と読んでいたことから、それを標準語化した「おわせ」を市名に制定した(1954年6月20日制定)。なお、1942年に撮影された尾鷲駅の写真では「をわし」と駅名標に書かれている。