大山崎町: 歴史
=== 古代 ===
奈良時代
神亀2年(725年) - 行基、山崎に橋を架けて布教の拠点とする。
延暦3年(784年) - 長岡新京の建設に伴い、山崎に橋を架けられる。
平安時代
弘仁2年(811年) - 嵯峨天皇が山崎河陽離宮に行幸する。
斉衡2年(855年) - 大火が発生し、300戸が延焼する。
貞観3年(861年)- 山崎河陽離宮が山城国府と定められる。
鎌倉時代
正治2年(1200年) - 藤原定家が水無瀬離宮への道中の途中で山崎の油売り小屋に泊まる。
貞応元年(1222年) - 美濃国司が大山崎神人に不破関の無料通行を許す(大山崎油座)。
建治2年(1276年) この頃、京都の油販売を山崎神人が独占。
応長元年(1311年) - 伏見上皇、山崎神人のために淀などの関津料を免除する。
南北朝時代・室町時代
元弘2年/正慶3年(1333年) - 播磨の赤松則村(円心)が山崎に陣する。
室町時代
元中9年/明徳3年(1392年) - 足利義満、大山崎に守護不入の権限を与える。
安土桃山時代
永禄11年(1568年) - 大山崎惣中、織田信長に矢銭を献ずる。
天正10年(1582年)- 秀吉と光秀が山崎の戦いをおこし、この後秀吉は山崎を拠点とする。
江戸時代
江戸時代は八幡宮の神領として自治を許される。
明治時代
1885年(明治18年)6月-7月 - 関西地方を襲った集中豪雨により大洪水(明治十八年の淀川洪水)が発生。桂川の堤防が下植野村で124メートルにわたり決壊。
1889年(明治22年) - 大山崎村・円明寺村・下植野村の3村が合併し、大山崎村が誕生。
昭和時代
1967年(昭和42年) 11月2日 町制を施行し、大山崎町となる。
平成
2014年(平成26年)6月4日 大山崎町民でつくる「長岡京市・大山崎町の合併を推進する市民会議」は、署名簿(1,288人分)と合併協議会設置請求書を町に提出し、同町と長岡京市の法定合併協議会設置を町長に本請求した。