雫石町: 歴史
氷期の石器が発見されるなど、その歴史は古い。町内各地の遺跡から先史時代にはすでに人々が定着していた形跡がある。大和朝廷の勢力が当地域に至り開拓の手が伸びたのは、延暦20年(801年)の坂上田村麻呂の頃であった。
当地域一帯に住む鬼の長(先住民の酋長)である大武丸を、田村麻呂が西根地域の中野村に兵を集めて攻め滅ぼした、と「巌鷲山縁記」に記載がある。中央が藤原氏の専制で地方政治の統制が緩み、安倍氏などの辺境在住勢力が台頭した。
安倍頼良の六男安倍重任が滴石に在住したが、康平5年(1062年)に安倍氏が衣川柵、厨川柵で敗れると9月17日には戦死した。前九年の役後、清原武則が鎮守府将軍として安倍氏の旧領をほぼ制圧したが、清原一族の内乱から国司源義家の参加した後三年の役が寛治元年(1087年)に起こり清原氏は滅亡、藤原清衡が清原氏の支配地を継承した。
1189年、源頼朝が平泉の奥州藤原氏を滅亡させると、1189年に岩手西部を常陸相馬の平衡盛(戸沢氏)に与えたことで、当地域も戸沢氏の支配下となった。
南北朝争乱の時代、戸沢氏は南部氏・河村氏・和賀氏・葛西氏とともに南朝の北畠顕信に属し、激しく足利方と対立した。南北朝時代には当地域で斯波氏と覇権を争った。その際1341年に顕信が滴石に御所を置いたことが、町内の「御所」地区の由来である。三迫の戦いで敗れた顕信は、石巻の葛西氏を経て、滴石城の河村六郎を訪ねた。1345年には戸沢氏と南部政長が顕信とともに斯波氏を攻めた。南朝側は足利方の吉良氏と畠山氏の不和や足利尊氏と足利直義の不和(観応の擾乱)の間隙をつき、滴石城を拠点として団結し多賀城を陥れているが、その後当地域の記録はない。
室町時代には地方分権的な大名が各地に形成されたが、当地方は戸沢氏の勢力圏として比較的安定していた。戦国時代には手塚氏(一説には戸沢氏)、長山村の長山氏、戸澤館の戸澤十郎などの勢力が台頭、境界をめぐり争乱を繰り返していた。
天文9年(1540年)、三戸南部の南部高信が、沼宮内氏・渋民氏・玉山氏・田頭氏・平舘氏を率いて侵入。戸沢氏のみが服従を拒否したために滴石城が焼失し、戸沢氏は仙北郡に逃亡した。1545年、日詰の斯波氏の斯波詮貞が滴石郷に侵入。一時滴石を支配し、斯波御所(雫石御所)を置いた。このとき初めて「雫石」の文字が使われる。
その後天正12年(1584年)、南部信直の代に当地域の攻略が始まり、天正14年(1586年)に斯波氏は敗れ、雫石城は南部よしゃれの伝説を生み落城、再び南部氏の所領となった。南部氏は小田原で豊臣秀吉に謁見し服従、所領安堵を許された。天正16年(1588年)、雫石城は豊臣秀吉の命令で破却された。
その後、徳川政権のもと南部藩の藩政が280年間、幕末まで続いた。雫石地域は久保田藩との藩境を接していたため争いが絶えず、また秋田街道の交易の利便性から橋場御番所が置かれた。雫石通は元禄8年(1695年)、宝暦5年 - 6年(1755年 - 1756年)、天明3年-天明4年(1783年 - 1784年)、天保年間には飢饉が起こり四大飢饉と呼ばれている。
慶応3年(1867年)、大政奉還を幕府が行うも鳥羽・伏見の戦いが起こり戊辰戦争へと戦火が広がった。盛岡藩は奥羽越列藩同盟に参加し、鹿角口と生保内口に向軍勢を差し向けた。雫石郷からは400名もの農兵が徴発された。盛岡藩は野々村真澄を総大将に生保内口に攻め入り久保田藩と交戦するも、地の利を得ず撤退した。盛岡藩は時勢虚しく、降伏恭順を官軍側に申し出るも、盛岡藩の帰服が正確を欠くとの理由から国見峠に攻め込まれ、橋場口が戦場となった。この戦いで一村が焼け落ち、マタギ猟師であった与吉(よぎ)が、長崎振遠隊斥候隊長福田栄之助を鉄砲で狙撃死させるも、春木場から侵入され雫石郷は占領された。盛岡藩の降伏が受理されて戦争は終わったが、現在に至るまで官軍に占領された時の恐怖が語り継がれている。
明治以降(行政区域の変遷については別記)
1891年(明治24年)- 日本鉄道副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎弥之助、鉄道庁長官の井上勝が、雫石村内に大規模農場を開設。3人の名の頭文字をとり小岩井農場と名付けられた。
1947年(昭和22年)8月7日:昭和天皇の戦後巡幸があり、小岩井農場の旧岩崎邸に宿泊。
1958年(昭和33年)2月2日 - 女助山で雪崩が発生。炭焼小屋3棟が倒壊して6人が死亡。
1971年(昭和46年)7月30日 - 千歳発羽田行きの全日空機と飛行訓練中の航空自衛隊の戦闘機が雫石町の上空で衝突し墜落、全日空機の乗客・乗員162名全員が死亡。
1980年(昭和55年)- 雫石スキー場開業。
1998年(平成10年)9月3日 - 岩手県内陸北部地震発生。町内で震度6弱を観測。
2013年(平成25年)8月9日 - 秋田・岩手豪雨により国道46号以南の地区を中心に甚大な被害が発生。10日朝までの24時間降水量は268.5 mm(町観測史上最高)。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、雫石村の区域のみで南岩手郡雫石村が成立。
1897年(明治30年)4月1日 - 郡の統合により北岩手郡と南岩手郡が合併し、岩手郡となる。
1940年(昭和15年)12月23日 - 雫石村が町制施行し、岩手郡雫石町となる。
1954年(昭和29年)4月1日 - 西山村の一部が御明神村へ編入される。
1955年(昭和30年)
4月1日 - 雫石町、御所村、御明神村、西山村が合併し、新たに雫石町となる。
10月1日 - 雫石町の一部が盛岡市へ編入され、盛岡市繋となる。