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佐用町: 歴史

佐用町: 歴史

古代の播磨国佐用郡の地。郡中心部の佐用町本位田甲には延喜式内社・佐用都比売賣(さよつひめ)神社が鎮座する。佐用都比売賣は『播磨国風土記』に登場する神で、別名・玉津日女命(たまつひめのみこと)と言う。玉津が兄である伊和大神(いわのおおかみ)と国の占有を巡って争った際に、鹿の腹を裂いてその血に種を撒き一夜で稲の苗を育て、その一夜苗を五月に植えたところ兄神が「五月夜に植えたな」と言ってその地から去ったことから、苗を植えた地域を「五月夜郡(さつきよのこおり)」と名付け、玉津日女も佐用都比売賣と名を変え農業の神として敬われるようになった。『播磨国風土記』には佐用とは五月夜(さよ)の意であると説く。古書においては「さよ」は賛用、狭依、賛容などとも表記された。
なお、佐用は元来「さよ」と読んでいたが、1955年(昭和30年)の合併時に「さよう」に読みを変更している。

1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年) - 赤松氏一族の別所敦範が利神山に利神城を築く。
1600年(慶長5年) - 姫路藩主池田輝政の甥の由之により利神城に三層の天守閣と、平福の町並みの原型となる城下町の建設が開始される。
1609年(慶長14年) - 3万2千石に増加され、由之は備前国下津井城に転出する。
1615年(元和元年) - 輝政の6男池田輝興が兄で岡山藩主の忠継が死去したため、その遺領より佐用郡など2万5千石を分与されて、平福藩が立藩する。
1631年(寛永8年) - 赤穂藩主だった兄の政綱が継嗣無くして死去したために赤穂藩を嗣ぐこととなり、平福藩は廃藩となる。平福には旗本松平康朗が5千石で入り、明治までこの地を治める。
その後山崎藩領、天領等を経る。
1697年(元禄10年) - 三日月藩(別名:乃井野藩)が立藩。1万5千石の城下町として森家9代174年の治世を行う。
1871年8月29日(明治4年7月14日) - 三日月藩を廃止して、三日月県が成立する。
1871年(明治4年)11月2日 - 姫路県(11月9日以降は飾磨県)に統合される。
1876年(明治9年) - 第2次府県統合により兵庫県の所属となる。
1964年(昭和39年)4月1日 - 初代の町章を制定する。
1983年(昭和58年)
5月14日 - 文化センター完成。
6月1日 - 歯科保健センター開設。
1985年(昭和60年)7月22日 - 千種川が全国名水百選に選ばれる。
1988年(昭和63年)6月6日 - 瑠璃寺の不動明王坐像が国の重要文化財に指定される。
1990年(平成2年)- 兵庫県立西はりま天文台公園開園、および兵庫県立西はりま天文台開所。
1991年(平成3年)12月12日 - 瑠璃寺にジャンボ絵馬設置。
1997年(平成9年)10月 - SPring-8の供用開始。
2000年(平成12年)
6月6日 - 佐用郡合併協議会を設置。
1月31日 - 佐用郡合併協議会を解散。
7月1日 - 佐用町、上月町、南光町の3町による合併協議会が発足。
9月12日 - 南光町長選挙で山田兼三が7選。
10月12日 - 佐用郡4町の合併協議会が再発足する。
2006年(平成18年)3月31日 - 2代目の町章を制定する。
2009年(平成21年)8月9日 - 台風9号の影響により佐用川(さよがわ)が氾濫し、山崩れなどの被害を受け、20人の死者を出した。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、佐用村・山脇村・真盛村・山田村・長尾村・本位田村・円応寺村の区域をもって佐用村(さよむら)が発足。
1928年(昭和3年)10月1日 - 佐用村が町制施行して佐用町(さよちょう)となる。
1955年(昭和30年)3月1日 - 佐用町が平福町 ・江川村・石井村 ・長谷村と合併して佐用町(さようちょう)が発足。
2005年(平成17年)10月1日 - 佐用町が上月町・南光町・三日月町と合併して佐用町が発足。

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Quelle: Text: Wikipedia – „佐用町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Reggaeman, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons