森町 (北海道): 歴史
古代(縄文時代)より人間が暮らし、各地に遺跡が残されている。
その後、縄文文化の後継である擦文文化、アイヌ文化がこの地でも発展した。
中世以降は町内にアイヌの集落が形成されていたが、16世紀には本州から移住した和人も定住し集落を形成し、 先住民族アイヌと、和人が併存した。
紀元前4千年紀 - 砂原二ツ山や尾白内に縄文の人々が住んでいた。土器や石器が発見される(昭和38年)。
紀元前2千年紀 - 縄文文化が栄える。この頃に環状列石(北海道内では最大、全国的にみても3番目となる)が作られたと見られ、イカ形土製品も出土される。
戦国時代
1532年 - (享禄5年)青森県蟹田村から権四郎が旧砂原町地域に移住・開村し部落が形成された。
安土桃山時代
1560年 - (永禄3年)内浦権現神社創建、砂原岳(駒ヶ岳)中腹の岩窟内に三神奉祀。
1601年 - (慶長6年)上磯町の有川より千歳末吉が鷲ノ木地区に移住したのが和人の定住の最初と言われる。
江戸時代
1640年 - (寛永17年)駒ヶ岳が有史始まって以来の大噴火。直下の湾岸一帯に大津波が発生し、被害をもたらす。
1661年 - (寛文元年) 鷲ノ木地区の和人戸口が増加し、「鷲ノ木村」と称するようになった。一説によると1624年の可能性もある。
1666年 - (寛文6) 円空上人が、砂原村内浦神社に仏像1体を奉納。
1694年 - (元禄7年)駒ヶ岳噴火、火山雷を伴う大噴火。
1738年 - (元文3年)鷲ノ木村が本村となり、森・蛯谷古丹・棒美・本茅部・石倉を支村して村落が形成されていった。
1751年 - (宝暦元年)ニシンの漁場(茅部場所)として沿岸部に集落が形成された。
1757年 - (宝暦7年)この頃茅部場所では、加工技術が発達していなかったことから、豊漁だったニシンが大量に放置されていた。そのため、これを土中に埋め、その上に鯡供養塔を建てた。
1765年 - (明和2年)駒ヶ岳噴火。
1784年 - (天明4年)駒ヶ岳噴火。
1789年 - (天明9年)鎮撫隊の利用に供する為、馬20頭を砂原より海上絵鞆に送る。これをもって蝦夷地馬飼育の起源とする見解がある。また、このころ、砂原が茅部場所枝村鷲ノ木より別れ一村をなす。
1791年 - (寛政2年)菅江真澄が砂原村に来村する。
1796年 - (寛政8年) 英国船プロビデンス号が内浦湾に入り、噴火湾と命名。
1799年 - (寛政11年)東蝦夷地が幕府の直轄となり、砂原に分屯陣屋を設置する。
1805年 - (文化2年)加賀屋半左衛門が元濁川地区(濁川カルデラ)に温泉場の開設を幕府へ願い出、間宮林蔵が巡見に来て、温泉場の開発が始まる。
1856年 - (安政3年)南部藩により現砂原3丁目に砂原分屯所(南部陣屋)が作られていた。また同年駒ヶ岳が大噴火する。
1858年 - (安政5年)箱館六ケ所が箱館奉行所より正式に「村」となったのをきっかけに、森・尾白内が鷲ノ木村より独立し、森村・尾白内村が成立した。
明治時代
1868年 - (明治元年)榎本武揚・土方歳三を初めとした旧幕府軍が江戸品川沖を出港し、開陽・回天など8隻が鷲ノ木沖に到着し、箱館戦争の始まりとなった。この旧幕府軍にはジュール・ブリュネやアンドレ・カズヌーヴらフランス人士官らが参加していた。上陸後、榎本軍は、森・尾白内・砂原と移動し、四軒町・会所町・彦澗・松屋崎に台場を設けた。
1872年 - (明治5年) 開拓使森出張所を設置、管轄は森村、尾白内村、鷲ノ木村、宿野辺村の4村であった。函館に次ぐ道南の主要地となる。また、同年、森村産出の茅部栗を材木とし、日本では初と言われる防腐処理(防腐剤は鷲ノ木村で湧出していた石油を使用)を施された桟橋が築造され、完成とともに室蘭港との定期便が運行された。
1873年 - (明治6年) 札幌本道(日本初の本格的馬車道)の開通に伴い駅逓所ができる。札幌本道は、函館~森間は道路、森~室蘭間が海路とされた。また、同年10月にベンジャミン・スミス・ライマンにより鷲ノ木の地質調査が実施された。
1875年 - (明治8年) 砂原出張所の廃止により掛澗、砂原、鹿部、熊泊、臼尻、尾札部が森出張所に業務移管された。同年、鷲ノ木村より独立した蛯谷村、石倉村が加わり、更に翌年に落部村も加わり13ヶ所の村を管轄した(1876年頃まで)。
1878年 - (明治11年) 平取集落を目指し、函館を出発したイザベラ・バードが森村の旅館で一泊し、当時の村の様子を日本奥地紀行へ書き記した。
1880年 - (明治13年) 鷲ノ木・蛯谷・石倉の三村を管轄する役場ができる(鷲ノ木外二ヶ村戸長役場)。砂原村戸長役場が設置される。
1881年 - (明治14年) 森・尾白内・宿野辺の三村を管轄する役場(森外二ヶ村戸長役場)ができる。
1889年 - (明治22年) 鷲ノ木外二ヶ村戸長役場と森外二ヶ村戸長役場が統合し、森外5ヶ村を管轄する役場が成立する。初代戸長に三井勝用が就任する。
1902年 - (明治35年) 二級町村として茅部郡森村が誕生する。範囲は亀田郡宿野辺村(しゅくのべ)、茅部郡森村、尾白内村(おしろない)、鷲ノ木村、蛯谷村、石倉村が6ヶ村が合併したものである。初代村長に佐野義政が任命された。
1906年 - (明治39年) 砂原村と掛澗村が合併し、二級町村として砂原村が成立する。
1907年 - (明治40年) 森村が一級町村に昇格する。
大正時代
1920年 - (大正9年) 葛原猪平により本格的な冷凍工場としては日本初となる森冷凍工場(後に葛原冷蔵となる。)を設立、関東大震災時には、東京へ北洋サケ等を搬入し、冷凍魚の価値を広めた。
1921年 - (大正10年) 函館支庁管内の福山町・上磯町・八雲町についで4番目の町政が施行され森町となる。初代町長に二代目村長の林昌雄が就任した。
昭和時代(戦前)
1927年 - (昭和2年) 渡島海岸鉄道株式会社により東森仮停車場 - 砂原間が開業する。
昭和時代(戦後)
1954年 - (昭和29年) 昭和天皇、香淳皇后のお召し列車が森駅に停車。駅前奉迎が行われた。
1961年 - (昭和36年) 森町大火発生、市街地の大半が焼失する。
1970年 - (昭和45年) 砂原村が町制施行して砂原町となる。
平成時代
2002年 - (平成14年) 北海道縦貫自動車道の建設工事中に鷲ノ木遺跡を発見、翌年より調査が始まり、ストーンサークルが発掘される。
町村合併後-新「森町」
2005年 - (平成17年) 4月1日 旧・森町、砂原町の対等合併に伴い、新・森町が開町。
2011年 - (平成23年) 11月26日 道央自動車道・落部IC - 森IC間開通。
2012年 - (平成24年) 11月10日 道央自動車道・森IC - 大沼公園IC間開通。
==== 森町大火 ====
1961年(昭和36年)10月23日、森町始まって以来、戦後道内では4番目の大火があった。町内中心部の407戸が全焼、住民80人が負傷した。
出火元は市街地中心の飲食店「お富」で、客の投げ捨てたタバコによるものである。
火災を拡大させた原因は、出火が真夜中であり通報が遅れたこと、建物が密集している市街地であったこと、風が強かったことに加え、町内に大火の前例がないため消防設備等の対策がなかったことである。そのため、最終的に長万部町や函館市など11市町村から応援に駆け付けたものの、消防署や銀行、病院、工場など町の主要施設が焼失することとなり、その被害は市街地の約三分の一を占めた。
同年10月28日、天皇・皇后から北海道を通じて御救恤金の下賜があった。
住宅を無くした町民は応急仮設住宅が完成する12月1日までは森小学校・森中学校や各保育所を避難所とし、厳冬を目前にした復興事業は5ヵ年を要した。