Heimatgeschichte · Kimotsuki ·

肝付町: 歴史

肝付町: 歴史

詳細は高山町 (鹿児島県)#歴史・内之浦町#歴史を参照。
高山・内之浦には大隅国設置時から常に肝属郡に属していたことや、中世に一貫して肝付氏の支配を受けていたこと、昭和の大合併を経験していないことなどの共通点がある。

1889年4月1日 - 町村制実施に伴い、高山郷・内之浦郷(外城制参照)がそのまま高山村・内之浦村となる。
1932年4月1日 - 高山村が町制施行、高山町となる。
1932年10月1日 - 内之浦村が町制施行、内之浦町となる。
2005年7月1日 - 高山町・内之浦町が合併(新設合併)し、肝付町となる。

平成の大合併では、高山町・内之浦町・串良町・東串良町の4町で2003年4月に肝属東部合併協議会を設置した。しかし、同年10月に串良町が鹿屋市との合併を望んだために協議会から離脱し、東串良町議会でも協議会からの離脱が可決。2004年1月には合併協議会の枠組みを3町に変更する議案も否決されるなど、合併協議会は機能不全状態に陥った。2005年3月の旧合併特例法の期限までの合併実現が不透明となったことから、高山町と内之浦町は2004年3月に肝属東部合併協議会を休止し、新たに肝属合併協議会を設置した。
新町の名称は2004年5月中旬から6月15日にかけて公募され、214種類・632通の応募があった。この中で最も応募数が多かったのは「国見町」(両町の中心に位置する国見連山や両町を結ぶ国見トンネルに由来)で145通が寄せられていた。2位は「高浦町」(高山と内之浦の合成地名)で48通、以下「肝属町」(肝属郡に由来)「きもつき町」「くにみ町」と続き、町名として採用された「肝付町」(肝付氏に由来)は6位(26通)に過ぎなかった。公募の結果をふまえて合併協議会では10種類に絞ったうえで委員による投票を実施。ここでは「肝属町」がトップとなり、以下「国見町」「肝付町」と続いた。
名称が決定されたのは2004年7月8日の第7回合併協議会であった。国見町は「高山町に国見小学校・国見中学校が存在していること」「長崎県の国見町(現在の雲仙市)に知名度で劣ること」を問題視され、最終的には「肝付」と「肝属」の投票となった。投票の結果「肝付」が「肝属」を3票上回り(9対6)、新町名が「肝付町」と決定された。こうした経緯から肝付町の名称の由来は「地域に馴染み深い名称」とだけされている。
当初の合併予定日は合併特例法の期限切れ直前の2005年3月22日であった。これが7月1日に変更されたのは、東串良町が2004年10月に住民投票条例を施行し合併に参加する可能性が浮上したことと、「2005年3月までに鹿児島県知事に合併を申請し2006年3月までに合併すれば、旧合併特例法が適用される」という経過措置があったためである。
県からは2005年3月9日に、国からは3月30日に合併が告示され、同年7月1日に肝付町が発足した。合併後の地名は「肝付町○○」(新富の場合は「肝付町新富」)となり、「高山」「内之浦」は住所としては使用されていない。

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Quelle: Text: Wikipedia – „肝付町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: ja:User:Sanjo, Public domain – Wikimedia Commons