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佐々町: 歴史

佐々町: 歴史

=== 先史・古代 ===
町内の中山間地域には支石墓や古墳が残る。当町域では古来より人々の暮らしの跡が見られる。
古代から近世にかけての令制国下では肥前国松浦郡に属し、現町域の北部に市瀬村(市ノ瀬村、一之瀬村とも)、南部に佐々村の2ヶ村が存在した。

鎌倉時代の文書に「佐々」の地名が出現する。正和3年(1314年)の鎮西御教書案に、肥前国佐々浦の某住人が所従を巡り鎮西探題に訴えを起こした旨の内容が記されている。また、永徳4年(1384年)の松浦党一揆承諾状に関連記事があり、佐々氏の項目に「さゝ長門守相」の名が見られる。
上記のとおり「佐々(さゝ)」の地名は中世半ば頃には既に存在しているが、地名の由来については不詳。但し当地内での口伝による説として、現在の佐々町南部の平野部は近世の干拓以前は海(佐々浦)であり、佐々川の作用や地形によるもの(狭い川瀬、岸部に広がる砂浜の状態「砂々」、水面の状態「漣」等)を表したとする説や、竹の一種「ササ」が繁生していた事を由来とする説が云われている。
15世紀後半より北松浦半島一帯をめぐる覇権争いが激しくなる。佐々町域においても平戸松浦氏と相神浦松浦氏(宗家松浦氏)との間で合戦が繰り広げられた。とりわけ1563年(永禄6年)の半坂合戦と呼ばれる戦では、佐々にある医王山東光寺の豪僧、伝育の活躍があり、その逸話が今日に伝えられている。

江戸時代は平戸藩に属した。藩政の一環として干拓事業が行われ、佐々川下流域が埋め立てられる(現在の本田原免、沖田免、小浦免など町域中南部平野部一帯)。この一帯は大新田と呼ばれ、平戸藩有数の水田・塩田地帯となった。江戸中期より北松浦半島一帯に石炭の存在が確認され、明治期以降は産炭地として発展していく事となる。
1751年(宝暦元年)、彼杵郡折尾瀬村(後の東彼杵郡折尾瀬村、現在の佐世保市三川内地域)より陶工が市瀬村へ移り住み、鴨川免にて開窯。江戸後期には尾張国春日井郡瀬戸村(現在の愛知県瀬戸市)の陶工、加藤民吉が磁器製法習得のため肥前国に入る。1804年(文化元年)末に市瀬村鴨川免の福本家を訪ね、翌年より当地にて2年間修行に励む。その後瀬戸へ帰郷した民吉は、習得した磁器製法で瀬戸焼の再興に貢献した。今日において民吉は瀬戸焼の磁祖と称えられている。
1813年(文化10年)初め、伊能忠敬らの測量隊が佐々入り。平戸往還の一部である佐々村半坂峠(口石免)から市瀬村江里峠(江里免)を通過している。途中、古川免の石田屋平太郎宅にて一泊した旨の記録があり、現在の石田屋宅跡地には「伊能忠敬宿所跡」の石碑が建てられている。

明治以降は採炭事業が本格化する。近代技術を取り入れた炭鉱会社が次々と開鉱し、石炭を運搬するための鉄道網が整備される(関西採炭松浦炭坑専用鉄道、佐世保軽便鉄道など。後の国鉄松浦線。現在の松浦鉄道西九州線)。昭和中期にかけて北松炭田屈指の産炭地として隆盛を極めるが、エネルギー革命の波に押され、町内に多数存在した炭鉱は昭和44年4月までに全て閉山。最盛期には約2万あった人口が1万を割る寸前まで落ち込み、町は急速に過疎化の一途を辿った。

炭鉱閉山後は農業を主産業とし、耕地整備などの土地改良事業やボタ山の宅地開発、企業誘致、福祉政策に取り組む。また佐世保市中心部への交通アクセスが良好な地勢もあり、人口は平成10年代までに1万3千人に回復している。

町の変遷については#行政区域の変遷を参照。

1889年(明治22年)
4月1日 - 町村制の施行により、2大字25免の区域をもって、佐々村が発足する。役場を大字佐々古川免に設置。
7月8日 - 初代村長を選出。
1891年(明治24年) - 『徴発物件一覧表』による1891年時点での村内の人口4,612人(男2,312・女2,300)、戸数850戸。

1935年(昭和10年) - 役場を古川免から本田原免に移転。
1941年(昭和16年)1月1日 - 石炭産業の隆盛に伴う人口の急増により、町制施行して、佐々町となる。
1944年(昭和19年)4月 - 日本国有鉄道(国鉄)松浦線全線開通。

1950年(昭和25年) - 町内の人口20,166人(国勢調査)
1957年(昭和32年)7月 - 諫早大水害発生。佐々町でも死者2名ほか負傷者がでる。
1960年(昭和35年)2月 - 佐々炭鉱、小浦炭鉱閉山。
1961年(昭和36年)
4月 - 日鉄神田炭鉱閉山。
9月 - 芳の浦炭鉱閉山。
1962年(昭和37年)10月 - 市瀬炭鉱閉山。
1963年(昭和38年)
5月 - 徳正地区(木場免)地すべり災害を受ける。
12月 - 平原炭鉱閉山。
1964年(昭和39年)
3月 - 里山炭鉱閉山。
4月 - 日窒江里炭鉱、韮山炭鉱閉山。
8月 - 高野炭鉱閉山。
1965年(昭和40年)4月 - 報国炭鉱閉山。
1966年(昭和41年)4月 - 川添炭鉱閉山。
1967年(昭和42年)
7月 - 未曾有の大水害により数十億円の被害。激甚災害に指定。
8月 - 70年来の大旱魃により中山間地域の水稲全滅の被害。
このほか年初には大寒波が襲来するなど、極端な気象が目立つ年であった。(詳細は「昭和42年7月豪雨」を参照)
1968年(昭和43年)3月 - 佐々町役場庁舎、都市計画により解体。
1969年(昭和44年)
4月 - 第二丸尾炭鉱閉山。
6月 - 佐々町役場新庁舎落成。(現庁舎)
1970年(昭和45年) - 町内の人口10,987人(国勢調査)
1971年(昭和46年)12月 - 国鉄臼ノ浦線が廃止。
1976年(昭和51年)4月
町章・町花が制定される。
国土調査事業(地籍調査) が始まる。
1982年(昭和57年)7月 - 長崎大水害発生。佐々町でも大雨による被害。
1986年(昭和61年)5月 - 学童農園「童の里」落成。(現・佐々町農業体験施設)
1988年(昭和63年)
3月31日 - 国鉄分割民営化により1987年4月に発足・承継した九州旅客鉄道(JR九州)松浦線が廃止。
4月1日 - 松浦線を転換し第三セクター方式の松浦鉄道西九州線が開業。

1992年(平成4年)7月 - 国土調査事業(地籍調査)町内全域完了。
1994年(平成6年)8月 - 平成6年渇水発生。町内の平地部で減圧給水。
2002年(平成14年)
7月 - 佐々町・小佐々町任意合併協議会設立。
8月 - 佐々谷四町任意合併協議会設立。
9月 - 大雨により低地浸水の被害。
11月 - 佐々町・小佐々町法定合併協議会設置。
2004年(平成16年)9月 - 第17回佐々町・小佐々町合併協議会にて合併後の新町名・合併日が決定。
新町名:さざなみ町
合併日:平成17年4月1日
2005年(平成17年)
3月20日 - 福岡県西方沖地震発生。佐々町でも震度4を記録。
3月末 - 佐々町・小佐々町法定合併協議会解散。合併は白紙となる。小佐々町は2006年(平成18年)3月31日に佐世保市に編入して、地方公共団体として消滅。
2007年(平成19年)10月 - 西肥自動車佐々バスセンター供用開始。
2009年(平成21年)4月 - 住民発議による「佐世保市・佐々町」法定合併協議会設置の是非を問う住民投票が実施され、反対が過半数となる。この結果、佐々町は単独町制の継続を決定。
2011年(平成23年)9月 - 西九州自動車道佐々インターチェンジ供用開始。
2016年(平成28年)4月 - 熊本地震発生。佐々町では14日夜の地震で震度3を、16日未明の地震で震度3(一部の地点で推計最大震度4)を記録。
2018年(平成30年)12月 - 佐世保市を中心に、佐賀県の自治体を含む12市町で形成を目指していた連携中枢都市圏『西九州させぼ広域都市圏』の参加を佐々町議会が否決。

2020年(令和2年)3月 - 西九州させぼ広域都市圏に参加。
2025年(令和7年)3月 - 長崎県警察が古庄剛町長を官製談合防止法違反などの容疑で逮捕。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „佐々町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Rsa, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons