宝達志水町: 歴史
石川県内で最初の旧石器が発掘された。縄文時代や弥生時代の遺跡も町内各地で発掘されている。
天正12年(1584年)には前田利家と佐々成政の間で末森城を巡る攻防戦が行なわれた(末森城の戦い)。
江戸時代には、加賀藩の農政の末端を担う十村役として喜多家と岡部家が置かれた。
宝達山には金山があり1903年(明治36年)の『加賀藩貨幣録』によると、1584年(天正12年)に開山し、坑道12箇所の崩落により閉山した1628年(寛永5年)まで採掘された。宝達山での金の採掘が衰えたため、鉱夫は加能越三国(加賀国、能登国、越中国)の堤防や用水路の工事に従事するようになり、宝達(宝達者)と呼ばれ、辰巳用水(金沢市)の掘削や宝達川の堤防工事などにも加わったといわれるが、資料が少なく詳しいことはわかっていない。
旧押水町の紺屋町地区には、押水町の名前の由来となった「押しの泉」と呼ばれる湧水がある。昔、弘法大師がこの地を通った時に水を求めたところ、老婆が一杯の水を恵んでくれた。その礼として大師が杖で岩を押したところに清水が湧き出たという弘法水伝説が残されている。
2013年(平成25年)、国際連合食糧農業機関(FAO)が推進する世界重要農業遺産システムに認定されていた「能登の里山里海」に追加認定された。
2024年1月1日に発生した能登半島地震で震度5強を観測。断水などの甚大な被害が出た。