Heimatgeschichte · Minamisanriku ·

南三陸町: 歴史

南三陸町: 歴史

=== 年表 ===
※新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦。丸括弧内は西暦で、1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦。

天武天皇朝(672年 - 685年):入谷村に入谷八幡神社が創建されたと伝わる。
貞観年間(859年 - 877年):大和国にある龍田神社の分霊を祀り、龍田明神社(現・荒澤神社)が創建されたと伝わる。
平安時代中期 - 後期:陸奥全土で安部氏(俘囚の流れを汲む先住民系の豪族)が繁栄。霊峰・田束山に信仰を寄せる。
康平5年9月17日(1062年10月22日):前九年の役の最終局面(安倍貞任の敗死)。これをもって安倍氏が滅亡し、陸奥国は出羽清原氏(俘囚の流れを汲む先住民系の豪族)の勢力圏に入る。出羽清原氏も田束山を信奉。
寛治元年11月14日(1087年12月11日):後三年の役の最終局面(清原家衡の敗死)。これをもって東北地方全土に覇を唱えていた出羽清原氏惣領家は消滅し、代わって奥州藤原氏が台頭。奥州藤原氏も田束山を篤く信奉し、数多く伽藍・僧房を造営する。
平安時代末期:平泉の藤原秀衡が、田束山の山頂に羽黒山清水寺、中腹に田束山寂光寺、北嶺に幌羽山金峰寺など、7堂伽藍・70余房を造営。
文治5年9月3日(1189年10月14日):奥州合戦の最終局面(藤原泰衡の敗死)。これをもって奥州藤原氏は滅亡し、陸奥全土は鎌倉幕府の直轄地となる。源頼朝に始まる幕府の歴代為政者も田束山に信仰を寄せ、多くの伽藍・僧房を再建・造営する。
平安時代の後:田束山麓の樋の口地区に、円仁(慈覚大師)の作と伝えられる不動明王像を祀る樋の口不動尊が建立される。
1609年(慶長14年):伊達藩が仙台城大手門前の広瀬川に大橋を架け直すこととなり、荒澤神社境内にある大杉の神木25本が建材として求められ、伐採・搬出される。このとき、後世に知られる2本の巨木「太郎坊杉」と「次郎坊杉」(後者は1958年に台風で倒壊)は残された。

1888年(明治21年)7月:本吉村(現・志津川地区)志津川字城場囲に、志津川蚕糸組合惣代高橋長十郎を社長として7名の出資により旭館製絲器械場(資本金3,500円)が設立される。養蚕農家の産繭の委託製糸を取り扱い、製品の生糸は、横浜同伸社を通じて米国に輸出された。1894年(明治27年)には旭製絲株式会社(資本金8,000円)に改組された。1911年に製糸用ボイラーを利用して火力発電を開始し、本吉地方初の電気事業者となった。その後、世界恐慌による経営状態の急速な悪化および糸価暴落により、1937年(昭和12年)解散。
1949年(昭和24年):志津川町漁業協同組合(宮城県漁業協同組合志津川支所の前身)が発足。
1958年(昭和33年)9月27日:午前6時頃、狩野川台風が三陸沖を通過。荒澤神社境内の巨木「次郎坊杉」が暴風で倒壊し失われる。
1960年(昭和35年)5月24日:チリ沖で5月22日(現地時間)に発生したマグニチュード9.5のチリ地震が引き起こした最大波高6 mの津波(チリ地震津波)が三陸海岸に到達し、志津川町(現・志津川地区)で41人が死亡するなど、大きな被害が出る。
1963年(昭和38年)12月:チリ地震津波災害復旧事業により、志津川湾に防潮堤と水陸門が完成。
1966年(昭和41年)11月7日:椿島の暖地性植物群落が、「椿島暖地性植物群落」の名で国の天然記念物に指定される。
1970年(昭和45年):歌津町(現・歌津地区)館崎西海岸に分布する下部三畳系大沢層から脊椎動物化石が発見される。その後に周辺で発掘された化石に加え、本吉町(現・気仙沼市本吉地区)大沢の大沢層模式地から採集された3個体と合わせた研究の結果、1978年に世界最古の新種の魚竜、ウタツギョリュウとして公表された。
1975年(昭和50年):志津川湾でギンザケ養殖漁業が開始。その後、全盛期には水揚げ高35億円に上った。
1977年(昭和52年)12月11日:国鉄気仙沼線が延伸し、陸前戸倉駅、志津川駅、清水浜駅、歌津駅、陸前港駅が開業。これにより、気仙沼線が全線開通。
1979年(昭和54年)3月30日:当町域を含む三陸海岸が南三陸金華山国定公園として宮城県内3番目の国定公園に指定。
1985年(昭和60年)7月:志津川湾のギンザケが水揚げ量3,000 t、水揚げ高25億円に達する。
1991年(平成3年)
7月:志津川町(現・志津川地区)がチリで作られたモアイのレプリカを輸入し、公園に設置(志津川のモアイ)。
歌津町(現・歌津地区)で複合型スポーツ施設「平成の森」が開業。
1995年(平成7年)5月28日:志津川町の入谷地区(現・南三陸町志津川入谷)に観光施設「ひころの里」が開所。
1999年(平成11年):歌津町が町制40周年を記念し「国際魚竜サミット」を開催。
10月13日:歌津町が山形県立川町と友好町盟約を締結。
11月7日:歌津町がイタリアのベザーノ町(ロンバルディア州)と姉妹都市提携 (cf.)。
2005年(平成17年)10月1日:南三陸町が誕生。
2006年(平成18年)5月17日:南三陸町開町記念式典。山形県庄内町との友好町盟約(旧歌津町・旧立川町の盟約を継承)および災害時における相互応援協定を締結 (cf.)。
2007年(平成19年)
2月4日:志津川町漁業協同組合が閉所(宮城県下の他の沿海漁協30所も同時期に閉所)。
4月1日:閉所した宮城県内31漁協を前身団体とする宮城県漁業協同組合が発足。31漁協が支所となる。
2008年度(平成20年度):三陸縦貫自動車道の延伸道路として、志津川インターチェンジを含む南三陸道路が新規事業化。
2010年(平成22年)9月7日:伊里前川水系伊里前川流域の歌津払川地区で、多目的ダムである払川ダムが着工(2013年3月完成)。
2011年(平成23年)
2月1日:総人口17,382人。
3月11日:東日本大震災が発生。

2012年(平成24年)
2月4日:平成23年度地域づくり総務大臣表彰で、最高賞の「大賞」を受賞。
2月25日:南三陸さんさん商店街(仮設)開設。
2016年(平成28年)10月30日:三陸沿岸道路三滝堂インターチェンジ(登米市) - 志津川インターチェンジ間が開通し、町内に高速道路が到達。
2018年(平成30年)10月18日:歌津、志津川および戸倉の海域を含む同町の海域(気仙沼市(旧本吉町)境 - 石巻市(旧北上町)境)が、「志津川湾」としてラムサール条約湿地に登録。海藻藻場としては日本初の登録地。
2020年(令和2年)10月12日:東日本大震災で被災した防災対策庁舎の周辺に震災復興祈念公園が開園。
2022年(令和4年)10月1日:南三陸311メモリアルが開館。

2005年(平成17年)10月1日:本吉郡の志津川町と歌津町の市町村合併により南三陸町が誕生。町名は「リアス町」など公募で寄せられた多くの案の中から最多得票によって選ばれた。

von Fremdinhalte · Regionauts

Quelle: Text: Wikipedia – „南三陸町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: ChiefHira, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons