小布施町: 歴史
鳥羽、後白河の院政期に出された荘園の保護を求める申請書に高井野牧、東条荘などの名が見られる。元暦元年(1184年)2月、平家没官領となっていた東条荘狩田郷について源頼朝が平繁雅に還付を認めた。室町時代の10年間続いた「応永の平和」と言われる時期に浄光寺の薬師堂が建立されている。信濃国が室町幕府の直接統治を受けた時期に、この地の国人であった高梨左馬助朝秀が所領の実態究明を迫る幕府代官の命に反抗して町域及び近隣各地を戦場とした。応仁3年、高梨政高と井上政家との間で狩田郷の領有を巡る争奪戦の舞台となった。高梨氏は戦国時代までこの地を支配していたが、越後の上杉氏に臣従し、上杉氏が豊臣政権により会津に移封されたことに伴い、この地を去った。
江戸時代には天領であったが、戦国時代の猛将福島正則が江戸幕府によって広島藩50万石から川中島藩2万石に減封されて終焉の地となった。1742年、戌の満水・寛保の大水とも言われる千曲川の大洪水で町域にも広く被害が及んだ。幕末には、豪商高井鴻山が招いた葛飾北斎や佐久間象山、小林一茶ら当時の一流文人との交流の地となった。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上高井郡小布施村・福原村・大島村・飯田村・山王島村・北岡村・押羽村の区域をもって小布施村が発足。
1954年(昭和29年)
2月1日 - 町制施行して小布施町となる。
11月1日 - 都住村と新設合併し、改めて小布施町が発足。